翔大のライバルであり、大切な友
春は甲子園出場が決まってから開会までドキドキハラハラが長いけど、夏は地方大会から一気に甲子園に乗り込んでいくからあっという間だねー、と。うちの甲子園経験者がいう。ほお。よくご存知で。
大変申し訳ない話だが、夫が甲子園を沸かせていた頃、わたしは東京に出てきて顔より大きな輪っかのイヤリングに前髪カッチリ立てて、バブル時代の青春を謳歌していたわけで…。
夫の甲子園での雄姿を当時一度も観たことがなかった。
「懐かし映像」に出てくる上宮高校の元木君と、いまわが家で一緒に暮らす夫は、まったく別人だと思います!
…そのくらい私は夫の高校球児時代、甲子園での活躍をまったく知らない。内緒ですけど。
毎年甲子園出場に関わらず世間から大注目される選手がいるものだが、今年大阪大会の決勝で履正社と戦った大阪桐蔭のエース、左腕の前田悠伍選手もその一人。
1年生の時からプロ顔負けのコントロールとマウンドさばきで、とにかく履正社、ここまで打てなかった。
翔大にとっても「いつかユウゴを打って大阪桐蔭を倒したい」というのが履正社入学の時からの目標だったのだ。
そういえば誰かさんも「(当時最強だった)PL学園を倒すために上宮に入った」と聞いている。
怖っ。
前田選手と翔大は中1の時、カルリプケン世界大会の日本代表として一緒にアメリカに渡り、初日から宿舎で同室だった。
前田君は当時から中1とは思えない落ち着いた投球で皆から一目置かれていたものの、素顔はみんなと同じやんちゃであどけない中1男子。翔大とはなぜか気が合っていたようだった。
高校に入ってまもなく、前田君の大阪桐蔭での活躍は世間に広く知れ渡ったけれど、履正社でなかなか怪我から復帰できない翔大とは相変わらず、1年に何度か連絡を取り合っていたらしい。
同じ大阪でもゆっくり会える時間はないのだが、たまに大阪桐蔭と履正社が開会式などですれ違った時、メンバー外なのでユニフォームでなく制服を着て来ている翔大を見て、
「なんでユニフォーム着てないん?」
と前田君はわざわざ声をかけてくる。
翔大は「だまれ。見とけよ。いつかお前の球、絶対打ち返してやっかんな」と返す。
ここまではもう、合言葉のようなもの。
「お前をいつか完璧に抑えてやっから。はよ試合に出てこいや」
高校に入って間もない頃から、彼は翔大にそう声をかけてくれていた。どこかですれ違うたびに、
「いつまで制服着とん?はよ試合にあがってこんか」
と声をかけてくれたり、翔大が怪我で外れているときにほかの履正社のメンバーに会うと
「翔大は?怪我治ったん?」
と、ベンチにも入っていない翔大のことを、よく気にかけてくれていたんだとか。
翔大が言うところの
「俺たち、ライバルやから」
…んん、そうだね。
翔大がライバルと思う相手がきっと、ライバル。そして、大切な友達。
だからお互いどんなことがあっても、勝手にやめたり投げ出したりはできないはず。
お互いに力を蓄え続けて、負けるわけにはいかんのだな。
今まさにこの世代を代表する選手になった前田君が、今でも翔大と野球で繋がっていてくれること。本当にありがたい。いい友達、ライバルが翔大の野球人生に確実にいてくれること。張り合えるライバルがいるから、簡単には音をあげられない。だからまたいつか、本当にどこかのグラウンドで会える日が来るのかもしれないと、翔大は今日も、今の立場で頑張れているのかもしれない。
そんな仲間たちがたくさん各地の強豪校でしのぎを削って、今年の甲子園をいろいろな思いで見つめているんだなぁ、と改めて思う。