「死に急いではならない」
艦はまだ半速(9ノット、時速約17キロ)程度で走り続けている。電灯はついているし、電話や拡声器も使える。水線下の機関科員の健闘がうかがえる。だが、高角砲、機銃が次々と被害を受けて対空能力が激減したため、やがて敵機は頭上を飛び交うほど、意のままに攻撃を加えてくるようになった。
「そんななか、第1波の被弾による後部火災は鎮火せず、弾火薬庫付近に立ち上る煙が、始終気になっていました。後部副砲の火薬庫が過熱して、手がつけられないとの報告も上がってきた。そしてこのことが、のちの大爆発の原因になったのではないかと、私は推定しています」
残念ながら、沈没は時間の問題になってきた。やがて、艦長より、「総員最上甲板」(総員退艦)の命令がくだる。清水は、側にいる指揮所員に、「死に急いではならない。浮いているものがあったら何でもよいから掴(つか)まってじっとしていること。絶対に一人になってはならない」と指示した。部下たちには、誰一人として動揺の気配は見られなかった。「まもなく左舷に命中した魚雷によって傾斜は急激に増大し、私は横倒しになった指揮所に踏みとどまったまま水につかりました。海水の入るザーッという大きな音が聞こえていて、前檣楼の周りの海には、多くの乗組員が泳いでいました」
指揮所の窓から海中に吸い出され、海面に浮上した清水が振り返ると、目の前に巨大な「大和」の赤腹が、まるで山のようにそびえて見えた。これがあの「大和」か、と目を瞠った次の瞬間、「大和」は大爆発を起こし、清水の身体はふたたび海中深く吸い込まれていった。どれぐらい潜ったかはわからない。真っ暗だった。やがて周囲が明るくなり、気がつけば海面に浮上していた。「大和」の艦影はもう見えなかった。ときに午後2時23分。
周囲には、艦から漏れ出た重油が層をなし、空は黒々とした雲に覆われ、あたりは薄暗い。200メートルぐらい先か、海中から赤い大きな炎が不気味に高く燃え上がり、そのなかで火薬が閃光を発し、花火のようにはぜている。主砲の発射用火薬がロケットのように滑走してこちらへ向かってくる。空からは大小無数の鉄片や鉄板が降り注ぎ、ピシャピシャと水しぶきを上げる。