常に、寛容でありたい

ぼくが個人的に大切にしていたのは……と、廣瀬はスマホを手に、何かを検索しはじめた。

「各国に『ハイ、ブラザー』みたいな砕けた言い方があるんですよ。ニュージーランドは『ハイ、ブロー』で、オーストラリアは『ハイ、マイト』。サモアが『ハイ、ウソ』。そしてトンガは確か……」

廣瀬は「これですね」とスマホの画面を見せた。

〈トコはスラングで兄弟を意味します〉

「そうそう、トンガが『ハイ、トコ』。はじめてきた選手や、朝にその国の選手のスラングであいさつしていました。ほんのちょっとしたことですが、このチームはみんなに対して、オープンなんですよ、と知ってほしかった。それに、いろんな考えの人やルーツが異なる人とたくさん接することができたのは純粋に楽しかったし、勉強になった。お互いに歩み寄れるような雰囲気をつくりたかったんです。常に、寛容でありたいな、と」

私が思い出したのは1999年W杯でマコーミックが率いた日本代表である。

ジェイミー・ジョセフとグレアム・バショップ。オールブラックスを経験した2人のスーパースターを起用した影響か、日本人選手と外国人選手の間に壁ができた、と関係者に聞いていたのだ。

「その点はぼくらのときとは少し違うかもしれませんね。日本代表になった海外出身選手は、他国でめちゃくちゃ活躍したスーパースターって感じじゃなかったから、日本人選手との間に、距離感はなかったです」

 

※本稿は、『国境を越えたスクラム-ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


国境を越えたスクラム-ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(著:山川徹/中央公論新社)

「何があっても日本以外の国の代表になるわけにはいかないと思った」。かつてリーチマイケルはそう語った。ラグビーは、代表選手の国籍を問わない。居住年数など一定の条件を満たせば、国籍と異なる国の代表としてプレーできる。多様なルーツを持つ選手たちは、なぜ「日本代表」となることを選んだのか。

異文化の地で道を拓いた外国人選手たち、そして彼らを受け入れたチームメイトと関係者の奮闘があってこそ、今の日本代表がある。その歴史は、多様な人々との共生をさぐる日本社会とも重なってみえる。それぞれのライフヒストリーと、秘められた熱い思いをたどる。