証明、おわり
さて、ここまでの説明でもう十分だと思いますが、土方雄久の「雄」は、織田信雄の「雄」を頂戴したもの、と考えられます。そして、その「雄」の字は、菰野の歴代の殿さまに受けつがれ、それは「かつ」と読んだ。
となれば、土方雄久は「かつひさ」で、織田信雄は「のぶかつ」であることになります。
Q.E.D.証明おわり。
もう一つ蛇足。この証明は、あくまで織田信雄とその関係者に限った話で、当時、広く「雄」という漢字を「かつ」と読んでいた、という証拠にはなりません。
そうすると、江戸時代の超有名人、赤穂浪士の大石内蔵助。彼の諱(いみな)は「良雄」ですが…あれは何と読むのでしょうか? 疑問は尽きません。
『「将軍」の日本史』(著:本郷和人/中公新書ラクレ)
幕府のトップとして武士を率いる「将軍」。源頼朝や徳川家康のように権威・権力を兼ね備え、強力なリーダーシップを発揮した大物だけではない。この国には、くじ引きで選ばれた将軍、子どもが50人いた「オットセイ将軍」、何もしなかったひ弱な将軍もいたのだ。そもそも将軍は誰が決めるのか、何をするのか。おなじみ本郷教授が、時代ごとに区分けされがちなアカデミズムの壁を乗り越えて日本の権力構造の謎に挑む、オドロキの将軍論。