中学卒業後は電気設備の仕事を学ぶ高校に進む予定だったが、入学式の日に「なんか違うなーと思って、校門のところで引き返しちゃった(笑)」。兄のつてで高崎のデパートで3年ほど働いた後、東京のデザイン専門学校が「学歴問わず」生徒募集をすると新聞で知った。

「これだと思って入学を決め、勢いでデパートも退職しました。私の場合、どうもミーハーっていうんですかね(笑)。行き詰まりを感じた時に外の自由な世界のことを知ると、後先考えずに飛び込んじゃう」

意気揚々と入学したが、グラフィックデザインの数ミリ単位の細かい作業が性に合わず早々に行き詰まり、次に目指したのはファッションデザイナー。デザインから縫製まで熱心に学び、卒業後は服飾メーカーに就職するも、なかなか売れる服が作れない。とうとう「営業に回れ」と宣告されて、退職を決意。

専門学校で服飾を学んでいた頃から、デザイン画やスタイル画を描くのは得意だった。裁断から縫製まで自分でこなした経験があるため、ラフに描いているようで、実は細かい服の構造までしっかりふまえた絵になっている

「世の中、フリーダムが格好良い時代だったでしょ(笑)。よーし自分もフリーになるぞと」。得意のスタイル画を皮切りに、欧米のファッション誌を参考にしたファッションイラストを描き始めた。その頃友人に誘われて、セツ・モードセミナーに入学。アヴァンギャルドな校風に圧倒されつつ、当時盛んだった学生デモに参加することも。

「学生運動だヒッピーだって世界にいると、スタイル画なんて『体制側の仕事じゃないか』とか言われちゃうわけ。周囲に『もっと自分の絵を描けよ!』と発破をかけられ、うーんと考え込んじゃってね。落書きみたいな絵に散文を添えたイラストを描いていました」

雑誌『詩とメルヘン』では、谷川俊太郎さんらの現代詩にイラストを描いた。その時期に詩人の岸田衿子さんと共作した『クレヨンの歌』(サンリオ出版、1976年)より。この本で詩的世界の表現を学んだ