フィリピンで出会った大きな瞳
クロッキー帳いっぱいに描いた作品を持って出版社へ売り込みに行ったが、「気味が悪い。こんなもの使えない」とけんもほろろ。しかし友人の紹介で会ったアートディレクターの堀内誠一さんだけが、「面白いね。こういうのはファンタシー(空想・幻想)というんだ」と評価してくれ、当時創刊されたばかりの『アンアン』に使ってもらえることになった。
「堀内さんには『飯野君は上手くないけど、面白いと言ってくれる人が必ずどこかにいる。その人に向かって描けばいいんだよ』と言われて。その言葉が勇気になりました」
そしてファンタシーという言葉に導かれるように、飯野さんは絵本の世界へ飛び込んでいく。当初は「こんな絵じゃ子どもが怖がる。もっと可愛い絵を描けば挿画として使ってあげる」と編集者に言われた。「自分としては可愛いと思ってたのになぁ」と今でも苦笑い。それでもめげずに持ち込みを続けるうち、一人、二人と面白がってくれる人が現れ、挿画だけでなく、物語から自分で作るオリジナル絵本も増えていった。