20代の友人が覚えていた歯痒さ

そんなことはすっかり忘れていたある日、久しぶりに会う友人とお茶をした。彼はまだ20代と若く、しかし類まれなる観察力と、たゆまぬ努力と、自分を信じる良い心と、それらが引き寄せる運と縁のおかげで、ほかの同世代よりうんと遠くまで到達していた。見ている景色は私とほとんど変わらない。

彼は、自分と同じく大きな夢を持つ、同い年の仲間の話をした。仲間の青年はとても真面目で、正義感が強く、努力も欠かさない。ゆえに、不満が多かった。改善に取り組まない組織に不信感を抱いていた。友人はそれが歯痒かった。

私の友人は若くして、所属する組織がどれほど高く彼を評価しようとも、彼のためになにかをしてくれるとは限らないことを学んでいた。それを知るにはあまりに若かったが、不貞(ふて)腐れず笑顔で組織を去り、自分で道を切り拓いた。

誰かのせいにすることが、なんの助けにもならないとわかっていたのと同時に、思い通りにならないのは自分のせいではないことも知っていたからだ。彼が働きやすいように工夫をしないことで、損失を被るのは彼ではなく会社だということも。なんという大人加減。人生3回目くらいに違いない。