多種多様なネーミングにますます魅了
それから半世紀後の昭和34(1959)年に先述の明神町に移転した。
ちょうどこの年に生まれた私が既に還暦を過ぎており、「主」がいなくなってからも、まるで渋谷駅頭に佇んでいたハチ公のように「裁判所踏切」を長期間名乗り続けたのである。この一途さに惹かれたのかもしれない。
この踏切に触発されて、地図雑誌『ラパン』のある号で、中央線快速が走る東京~高尾間の全踏切の写真を載せる企画を思いついた。
当時はまだ三鷹~立川間にも踏切があり、三鷹駅から高尾駅の手前に至る全38ヵ所を自転車や徒歩で訪ねた。
今はなき旧地名の梶野新田(かじのしんでん)踏切(東小金井駅東側)、貫井(ぬくい)神社に通じる弁天道踏切(武蔵小金井~国分寺)、国道16号の旧称である相模街道踏切(八王子~西八王子)、かつて調布市内にあった甲州街道の五つの宿場―国領(こくりょう)・下布田(しもふだ)・上布田・下石原・上石原の総称である布田五宿へ通じる五宿踏切など、多種多様なネーミングにますます魅了されてしまった。