父親がとんでもない変わり者

そして、「貧乏」だけではなく、父親がとんでもない変わり者、というのは私と中川家の最大の共通点だ。

中川家のお父さんの変わりっぷりは何度もラジオなどでそのエピソードが披露されており、ファンの中では有名だ。今は絶版となって入手困難な中川家の幼少期のエピソードを収録した『クリスマスには焼き魚にローソクを』(幻冬舎)の中でも、そのエピソードがいくつも書かれている。例えば近所の人が飼っている軍鶏と、中川家が飼っていた軍鶏を戦わせた時、目を潰されボロボロになった軍鶏を持ち帰り、傷口にオロナインを塗って再び戦わせようとし、剛さんが戦わせるのは無理だと言ったら、諦めてその場で軍鶏の首をひねって殺し、鍋にしたというエピソードは強烈だ。

家族を何の装備もせずに山の獣道に連れて行き、現地で食料を調達して野営するサバイバルキャンプを毎年するなど、普通の家庭ではありえないことを次々としたらしい。見知らぬ人にいきなりとんでもないことを言って場を凍らせ、入れ墨をした人にも無遠慮に絡んだりする。次々繰り出す予測不可能で、奇想天外な言動、話の通じなさ。それがうちの父と本当によく似ている。有り得ないエピソードのオンパレードなのに、なぜか驚きより共感が勝ってしまうのは、うちの父が負けず劣らず奇人・変人だからだろう。

私は中川家と違って、父の変わり者エピソードを笑いに変える元気も胆力もなく、思い出したくなくて、封印していたように思う。生い立ちがヘビー過ぎて、他人の話に共感することなんてほとんどないし、話して湿っぽくなるのも嫌だし。

笑いにしている、とは言うものの、剛さんは大学に行けなかったことがいまだに心残りだと言っていたし、二人の口調からはもう乾ききった諦めが漂い、本当に心底うんざりしているのも伝わってくる。ふたりは「よくグレなかった」と振り返っていたほどだ。それでもなんだかんだと言いながら今でも電話しているのだという。親を恨み切れない複雑さはよく分かる。中川家には笑いでどれだけ救われたかわからないけど、貧乏エピソード、お父さん変わり者エピソードでも、「自分だけじゃないんだ」と思えて、本当に救われている。

中川家のエピソードは「変わってるね、でも面白いね」みたいなライトなエピソードじゃなくて、普通の人が聞いたら本気でドン引きするようなヘビーなエピソード。別につらいことを笑いに変える必要なんてないけれど、あっけらかんと話す中川家を見ていると、なんだかこちらまで心が軽くなっていく。