蓋をしていたこの現実
また、ある年の誕生日、父から電話がかかってきた。「お誕生日おめでとう、それでな、わし今金がなくてな」と、おめでとうの後の余韻もなく、間髪を入れずに2~3万をせびられた。歯が悪く、入れ歯を作る必要があったが、どうしてもそのお金がないのだと言う。「歯が痛くて痛くてかなわん」とうるさく言う父が不憫で、翌日お金を振り込んだ。
それなのに、今年の春帰省すると、歯がなくて柔らかいものしか食べないという父。なんと、作った入れ歯を使っていないというのだ。娘に買わせておいて使っていないとは何事だ。まだ60代なのに歯がない父は、しゃべってももごもごして聞き取りにくい。家には炭酸飲料やスナック菓子など身体に悪いものを厳選したようなものが買い込んであり、冷凍ピザがなぜか常温で机に置いてある。父は母の作った野菜中心の栄養のあるものは食べず、冷凍ピザばかり食べるのだという。
父親は20代で胃潰瘍で手術したのを皮切りに、何度も腸閉塞などで入院している。毎年夏になると入院するのは、胃腸が弱く何度も病気で手術しているのに、アイスなど冷たくて甘いものを食べまくるためだ。吐いて下痢して何も食べられなくなって、それでも病院に行かない。ついにどうにもならなくなって病院に駆け込み、緊急入院するのに、退院すると懲りずにまた甘いものばかり食べる。
今年は、数日遅かったら死んでいた、と医者に言わしめた。死の淵を味わってもなお、不摂生の限りを尽くす。でもきっと自罰的な生き方は自傷行為の一種のようなもので、そうしないと生きていけない父をどうすることもできない。周囲はそんな姿に心を抉られ胸をかきむしるしかない。そんな父を介抱するのはいつも母親だ。母が食べろと言ったものは食べず、辞めろと言ったことばかりして、いつも最後は母に迷惑をかける。
中川家のお母さんも、お父さんにさんざん殴られ蹴られ、一度は離婚したのに、また家に戻ってきて、80代になっても文句を言いながらも同居しているという。いつも父に愛想つかして、もう嫌!と言いまくりながら結局は一緒にいる母が、中川家のお母さんに重なった。夫婦とは本当にわからないものだ。
話が通じない人が家族にいるという、意味の分からなさ、理解できなさ。それは到底言葉で表せるものではない。まともに考えるとこっちがおかしくなる。本当に意味がわからない。人に話せるわけでもなく、ただただ考えないように蓋をしていたこの現実だが、似た状況にある中川家の存在が、唯一の光のように感じられる。どろどろ、ぐちゅぐちゅとした直視できない苦しい現実も、共感や自分が人に話すことを通して、すこし乾いて、気が楽になるのかもしれない。
◾️本連載が書籍化されました。好評発売中です