(イラスト=あなんよーこ)
新型コロナウイルス感染症が5類に移行し、規制が大幅に緩和された年末年始、飲み会に出かける機会が例年より多いのではないでしょうか。東京消防庁が発表した2015年~2019年間における急性アルコール中毒による搬送者数は、毎年1万人以上の人が救急搬送されていたとのこと。コロナ禍前5年間は増加傾向にあり、令和元年(2019年)は1万8,000人以上に。お酒は適度を守って楽しみたいものですが、羽目を外しすぎて苦い思いをした人も少なくないのでは。深山佳子さん(仮名・北海道・パート・71歳)は幼い頃、酔うと普段の姿と変わってしまう父が嫌で、絶対自分は酒飲みにはなるまいと誓っていたそうですが――。(イラスト=あなんよーこ)

終着駅で起きて仕事をサボる父

お酒を飲み始めたのは就職したての22歳の頃。友達や気の合う職場の仲間と飲み会をしては、気取ってしゃれたカクテルを楽しんだ。コークハイ、ジンフィズなど、アルコール度数が強いのか弱いのかもわからず飲み続け、元気に騒いだ。

気の置けない仲間と飲むのはなんと楽しいことか。少々飲みすぎて暴言を吐いても気にしない。カラオケで上手くもないのに歌ったり、飛び跳ねるだけのダンスを踊ったりして、日付が変わるまで遊んだ。

長い付き合いの友人が「もう遅いから帰ろうよ」と言っても、「帰りたくない」と私が駄々をこねたという話は今だに語り草だ。

自宅でも飲むようになったのは、26歳の時。一人暮らしを始めて、風呂上がりに、甘いジュースよりすっきりしたビールを飲むようになった。ほんのり苦い泡がシュワシュワッとのどを通るのがたまらない。

このおいしさを知ってからは、日を追うごとに量が増えていった。つまみもなしで水代わりにいくらでも飲めたものだ。