コーチの深い理解
それでもコーチは勇太君を叱ることはなかった。コーチは冷静に母に分析してみせた。
「勇太君はベンチをプールに放り込んで、自分でとんでもないことをしてしまったと反省したんですよ。それで、その事態を無かったことにしたいと思って石けんで洗い流そうと思ったんです。そう思いますよ」
なるほど、そういう解釈もあるのかと母は感心した。ともかく、Tスポーツセンターの深い理解が母には嬉しかった。
その後、勇太君は6コースへのこだわりを捨てた。が、最初に手にしたビート板が緑色だったので、緑のビート板にこだわった。コーチはそれを容認し、常に勇太君に緑のビート板を与えた。
しだいに勇太君は泳ぎ方をマスターしていき、やがて4種類すべての泳法を覚えた。
Tスポーツセンターとの付き合いは10年続く。結局10年後に退会することになるのだが。
※本稿は、『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『発達障害に生まれて-自閉症児と母の17年』(著:松永正訓/中央公論新社)
人の気持ちがわからない。人間に関心がない。コミュニケーションがとれない。勇太くんは、会話によって他人と信頼関係を築くことができない。それは母親に対しても
同じだ。でも母にとっては、明るく跳びはねている勇太くんこそが生きる希望だ。
幼児教育のプロとして活躍する母が世間一般の「理想の子育て」から自由になっていく軌跡を描いた渾身のルポルタージュ。子育てにおける「普通」という呪縛を問う。