こうした手足をよく動かす日常生活がリハビリになっているのでしょう。私の体はどんどん良くなって、今が一番健康だと感じます。血圧が下がり、頭痛もない。若い頃より肌艶がいいと夫に褒められます。

年に一度、MRIで脳の画像を撮影しているのですが、担当医に驚かれました。「脳の画像と回復の度合いが乖離している」と。画像では、左脳は広範囲で壊死しています。でも、私は普通に会話して歩いている。いったい脳のどの部位が、失った機能をカバーしているのか不思議だと。医者にもわからないことが私の脳で起こっている。人間ってすごいですね。

不思議といえば、脳を損傷して以降、花や風景が以前よりもビビッドに見えます。私の目に映る色が変わったのです。満月は真ん中が黄色で外側は青色。とてもきれいです。月は黄色、は固定観念。一人ひとり見え方は違うのだと思います。

「闘病の体験記を書きませんか」と、旧知の出版社から10年ぶりに原稿依頼があったのは19年のこと。うれしかったけれど、私に長い文章が書けるのだろうかという不安も。「か」は「KA」、「た」は「TA」といちいち確認しながらキーボードを打つので、短い文章でも時間がかかります。でもネタはたくさんあるし、書きたいという気持ちは強かった。

タイミングよく、その1年前から近所のパソコン教室に通っていて、メールの送信やインターネットでの検索はなんとかできるようになっていました。しかも、原稿依頼は季刊誌の連載。つまり締め切りは3ヵ月に1回。それならばゆっくり時間をかければできるかも。最後は家族に背中を押されて心を決めました。

原稿を書くにあたって役に立ったのが、夫が録音したカセットテープ。ICUにいた時、入院先から一時帰宅した時などの夫との会話の音声が残っていたのです。それらを聞くと、「わかんない」「お母さん」しか言えなかった私が少しずつ進歩していく様子がわかります。「あなたは物書きだから、何かの役に立つと思って」と夫は録音してくれていたのです。

原稿を書くのは楽しかった。文筆家には、たまに《降ってくる》瞬間があります。以前の私の脳にはたくさんの語彙が詰まっていて、それらが脳で勝手に組み立てられて次々と流れてくるような感じでした。今は、語彙がすっかり少なくなったのですが、それでも降ってくることがある。昔とは違う感覚があるんです。

連載が1冊の本にまとめられて、読者からは、「《清水ちなみ節》は健在ですね」という声をいただきました。とてもうれしい。今後も文章は書いていきたいですね。ただ、昔と同じことをしたいとは思いません。私の脳は生まれ変わったのだから、何か新しいことをやりたいとワクワクしています。