初舞台

亀井静子の初舞台は、1927年夏、大阪毎日新聞社主催「日本新八景」レビュー「日本八景おどり」だった。ラストの華厳の滝の景で、岩に砕け散る水玉の役で踊ったという。

メイクの時に下地用の砥の粉(砥石を切り出すときに出来る土の粉)を使うのを知らずに、顔も身体も白粉で真っ白に塗って、ジョーゼットの衣装を着て舞台に出ると「なんや、その格好、白壁が歩いているようなもんや」と、看板スターの飛鳥明子に笑われたと、自伝「歌う自画像 私のブギウギ傳記」(48年・北斗出版社)で語っている。

ステージ・ネームは三笠静子。近所の知り合いが、本名の静子にちなんで「三笠静子」と命名した。

さて1928年8月、東京・浅草松竹座開場に伴い、大阪で誕生した松竹楽劇部が上京して「虹のおどり」を上演。

これが好評を博して10月には、東京松竹楽劇部が発足。その東京松竹楽劇部生徒養成所第1期生には、ターキーのニックネームで一世を風靡することになる水の江滝子がいた。

※本稿は、『笠置シヅ子ブギウギ伝説』(興陽館)の一部を再編集したものです。


笠置シヅ子ブギウギ伝説』(著:佐藤利明/興陽館)

2023年NHK朝の連続テレビ小説、『ブギウギ』の主人公のモデル。
昭和の大スター、笠置シヅ子評伝の決定版!半生のストーリー。

「笠置シヅ子とその時代」とはなんだったのか。
歌が大好きな風呂屋の少女は、やがて「ブギの女王」として一世を風靡していく。彼女の半生を、昭和のエンタテインメント史とともにたどる。