2018年に放送されたNHK連続テレビ小説『まんぷく』がNHK BSとBSプレミアム4Kで再放送され、再び話題となっています。『まんぷく』のヒロイン・福子のモデルとなった、安藤仁子さんは一体どのような人物だったのでしょうか。安藤百福発明記念館横浜で館長を務めた筒井之隆さんが、親族らへのインタビューや手帳や日記から明らかになった安藤さんの人物像を紹介するのが当連載。今回のテーマは「解放された日々 ~若者集め塩作り」です。
「それなら、私が一役買おう」
大阪の街には、出征先から帰国した復員軍人や引揚者や戦災孤児があふれていました。復員軍人の中には、まだ短銃を持ち歩く者もいて物騒でした。
百福は、親しい政治家―当時、運輸省鉄道総局長官だった佐藤栄作(後の総理大臣)や田中龍夫らと会う機会があると、いつも、「若者がいつまでも仕事もなくぶらぶらしているのは困ったものだ」という話になりました。
「それなら、私が一役買おう」と、百福が男気を出します。
仕事のない若者を集め、泉大津の浜で働かせることにしました。みんな住み込みで、給料はありませんが、奨学金のような生活費を支給しました。百福は赤穂で覚えた塩作りを、見よう見まねの自己流で始めたのです。
薄い鉄板を集め、海側を高く、山側を低くして並べます。強い日差しを浴びてやけどするくらい熱くなった鉄板の上に海水を流します。この作業を何度も繰り返すと、次第に塩分が濃縮されます。最後に、たまった濃縮液を大釜に集め、さらに煮詰めると、立派な塩ができました。泉大津の浜一面に見渡す限り鉄板が並んだ様子は壮観でした。
「普通の塩田よりも、このやり方の方が能率的だった」と、のちに百福が自慢したほどの出来栄えだったそうです。