『源氏物語』の作者・紫式部の生涯を描いたNHK大河ドラマ『光る君へ』の放送が、今年1月からスタート。一方で「源氏物語にはたくさんの謎があり、作者の紫式部にも、ずいぶんと謎めいたところがある。彼女にも彼女なりの『言い分』があったにちがいない」と話すのは、日本文藝家協会理事の岳真也さん。岳さんいわく「紫式部の父親は非エリートの貴族」だったそうで――。
出自と生家
紫式部の生年は諸説ありますが、天禄(てんろく)元年〜天元(てんげん)元年、西暦にすると970〜978年ごろではないかと言われています。
「諸説の差が9年もある」となると、あやふやで疑わしく思ってしまいますが、当時の女性の名前や生まれ年、亡くなった年などの記録は、ほとんど残っていないのです。
記録が残されていたとしても、天皇家の子女のような、ごく限られた女性たちだけでした。
わりと確実性が高いのは、天延(てんえん)元年(西暦973)です。
『源氏物語の謎』(三省堂選書)の著者・井伊春樹氏は、兄の藤原惟規(のぶのり)の生年から推(お)して、そう記していますし、平安朝史の大家たる角田文衛氏も各著で、そのように表記しています。
また、「兄ではなく、弟だった」という説もありますが、けっこうな「オシャマさん」とおぼしき幼いころの紫式部が、そのかたわらで父の講義を聞いてしまう、といった逸話からしても、私は断然、「兄者(あにじゃ)」説を支持します。
ですから基本、天延元年の生まれということで、話を進めていきたいと思います。