国内で800万部、全世界で2500万部を突破したベストセラー書籍『窓ぎわのトットちゃん』。実に42年ぶりに続編『続 窓ぎわのトットちゃん』が発売され、今話題となっています。今回この本から、「トットちゃん」こと著者の黒柳徹子さんが「戦争中の東京の冬」について記したエピソードを紹介します。
15つぶの大豆
戦争中の東京の冬は、いまよりもずっと寒かったと思う。
「寒いし、眠(ねむ)いし、おなかがすいた」
トモエ学園の行き帰り、トットたちはみんなでそう言いながら歩いていた。簡単な曲をつけて、自分たちのテーマソングみたいに歌うこともあった。
お米の配給制が始まったのは太平洋戦争が始まる前だったけど、しばらくすると、食べもの屋さんはどんどん閉まっていったし、戦争が長引くにつれて、サツマイモ、大豆、トウモロコシ、コーリャンなどが「代用食」として配給されるようになった。
毎日のお弁当が白いごはんから大豆に代わったときは、それはもう空腹に苦しめられた。
運動会のお弁当から、白いごはんがいっせいに消えてしまったときも、「去年の運動会のお弁当は、ママが作ってくれたあまいおいなりさんだったなあ」と思い返して、トットはとても悲しかった。
ある寒い朝、学校に出かけるときにママから、フライパンで炒(い)った大豆が15つぶ入っている封筒(ふうとう)を渡(わた)された。
「いいこと、これが徹子(てつこ)さんの今日1日分の食べものよ」
ママはトットの手に封筒を置いた。
「急いでぜんぶ食べちゃったらダメよ。帰ってきてもなにも食べるものがないから、いつ、何つぶ食べるかは自分で塩梅(あんばい)してね」
そうか。今日からお弁当はお豆だけなんだ。おなかがすいても、いっぺんに食べちゃいけないんだ。
「食べたら、お水をいっぱい飲むのよ。そうすれば、おなかがふくれるから」
ママは、何度もトットに念を押(お)した。