映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として知られる、米国著名作家でジャーナリストのピート・ハミルさん。2020年8月5日に85年の生涯を終えてから、今年で4年が経過します。ピートさんの妻で作家として活躍する青木冨貴子さんは、最愛の夫との大切な記憶を、手記『アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして』に書き留めました。「ふたたび一人」で生きていく青木さんが、心の筆で綴ったエピソードの一部をお届けします。
75歳、博士号を授与される
「いったい、誰がこんなにすごいライナー・ノーツを書いたんだろう!」
東京で音楽記者をしていた頃のこと。発売されて間もない、ボブ・ディランの『血の轍(わだち)』のテスト版をレコード会社からもらったわたしは、食い入るように解説文を読み、思わずため息をついた。
それを書いたのがピートだとわかったのは、ずいぶん経ってからのことだった。ちなみに、このライナー・ノーツはグラミー賞を取っている。
ピートのもとには数えきれないほどの賞状があったけれど、彼にはそういうものを壁に飾る趣味がなかったので、大半はクローゼットや倉庫にしまい込まれたままだった。
どんなに立派な賞をもらってもけっしてひけらかすようなことはなかったが、彼の人生において、とても大きな意味をもつ賞状が二つある。「リージス高校」の卒業証書、そして「セント・ジョンズ大学」の博士号を授与された時のものだ。
高校も出ていないピートが突然、博士号を授与されたのは、75歳のときだった。セント・ジョンズ大学は1870年に設立されたカソリック系の名門で、賞状には「ピート・ハミルの傑出した業績に対して5月15日、この称号を授ける」と記されている。
この日、ニューヨーク市クイーンズ地区にある大学のキャンパスに招かれたピートは、ほかの卒業生たちと同じ黒いガウンに帽子という出立ちで博士号を受け取ると、彼らの前でスピーチをした。
「私は高校もドロップアウトしたのに、博士号をいただき……」というなり、数百名の大きな拍手が沸き起こった。