******
舞台やバラエティ番組への出演など幅広い活動を続ける一方、6年前から富山で一人暮らしをする母・須美子さんの遠距離介護を続けている柴田理恵さん。「要介護4」からリハビリを経て「要介護1」まで回復した須美子さんの今後と、親の介護について悩みを抱える人へ向けたメッセージを聴きました(構成=上田恵子 撮影=本社◎奥西義和)
あんたの人生と私の人生は違う
富山で一人暮らしをする母の遠距離介護を始めて6年になります。2年前に取材していただいたときにもお話ししましたが(「富山で暮らす92歳の母を遠距離介護。腎盂炎、骨折を経て〈要介護4〉から復活した理由」)、母は2017年10月、89歳のときに腎盂炎で倒れ、「要介護4」になりました。
その後、リハビリを頑張ったことで「要介護1」にまで回復。病院に入院、介護施設、実家で一人暮らしの3つを行き来しながら、一人暮らしを続けてきました。ところが2022年の2月に腸閉塞を患い、以降は入院生活に。この取材を受けている今も、富山の病院に入院しています。
最初に腎盂炎で入院した際、母は「元気になって、また家に帰って一人で暮らしたい」と繰り返し口にしていました。それまで週2回ヘルパーさんに来ていただきながら充実した毎日を過ごしていたので、そのままの生活を望んでいたのです。
2016年の晩秋に父が亡くなった際、母に「東京で一緒に暮らさない?」と尋ねたことがありました。母の返事は「絶対に嫌だ。あんたの人生と私の人生は違う。私の人生は富山にある。あんたは東京で仕事を一生懸命しなさい」というものでした。母は元教師で、退職後もお茶や謡を教えていた人です。私は一人っ子なのできょうだいはいませんが、近所には親戚や友人がたくさんいて、教師時代の教え子だってゴロゴロいる。知り合いが誰もいない東京で、しかも仕事で留守がちな娘と一緒に暮らしても、寂しい思いをするだけです。
教師という仕事に全力で打ち込んできた母は、私が仕事をおろそかにすることを何よりも嫌がりました。娘が仕事を辞めたり減らしたりして親の介護をすることなど、少しも望んでいない。
私が高校を卒業して、大学進学で東京に上京するときは大反対だったんですけどね。きっと親心から心配してくれていたんだと思います。一緒にカラオケに行ったら、松村和子さんの「帰ってこいよ」を歌われたり(笑)。それでも、立ち上げたWAHAHA本舗が軌道に乗り、ご飯が食べられるくらい稼げるようになった頃には、認めてくれていました。「自分を必要としてくれている人に、迷惑をかけちゃいけない」と言ってくれて。そんな事情もあり、私は私で東京で仕事を続けつつ、親戚やヘルパーさん、ケアマネジャーさんたちと連携しながら母をサポートすることを決めたのです。