(イラスト◎コーチはじめ)
〈発売中の『婦人公論』9月号から記事を先出し!〉
『婦人公論』が募集している「読者ノンフィクション」企画。今号から、90代の読者が自身の体験を書き上げた力作を1作ずつご紹介します。90有余年を生きた人だから書ける喜びや悲しみ、稀有な巡りあわせが、ひとつひとつの物語に詰まっています。上野れつ子さん(仮名・千葉県・95歳)は、~そうで──

前編よりつづく

ほんとかしら。姉と顔を見合わせて

兄は私より13歳も年上で、私たち5人きょうだいの一番上でした。戦前は満洲(現・中国東北部)進出が国策として進められており、中学校を卒業するとすぐ青雲の夢を抱いて単身渡ったのです。苦労の末に築き上げた事業がようやく軌道に乗りはじめた、という便りが前年に届いたばかりでした。

しかしこの年の3月に応召、即入隊ということで、東京・中野の通信隊に入ったのでした。5月にその知らせをハガキで知った父は、東京までの距離ならば会えるかもしれないと役場に行き、旅行の証明書を申請したり手を尽くしたのですが、取り上げてもらえることはありませんでした。終戦したいま、このお告げを両親が、特に母が聞いたら、どれほど喜ぶことか。

「いつ、いつ帰りますか。こっくりさん! 何日に帰るかわかりませんか。教えてください」

姉の声が大きくなりました。私も思わず手に力が入りそうになり、抑えて、抑えて、と自分に言い聞かせます。

ゆらり、ゆらーりと文字の上を回っていたこっくりさんが、五十音表を通り過ぎ、漢数字の上を回りはじめました。一から十までの間を行ったりきたりして、二の上にちょんと下り、またふわり、ふわり。十の上をトンとつき、今度は五の上に下り、そして五十音のほうに戻ると、「に」と「ち」を指してからすーっと「休み」の囲いに戻って止まりました。

……25日。25日はあと3日後です。ほんとかしら。私は姉と顔を見合わせました。

しかしここで疑っている様子を見せては、こっくりさんのご機嫌を損ねることになりかねません。こっくりさんが帰らなくなったりしたらそれこそ一大事。これは、よくよく言われていたことでした。

割り箸は、「休み」と書いた囲いのなかで止まっています。私はそれをしばらく眺めていました。とても長い時間のように思いました。姉は息を大きく吸い込んでから、

「こっくりさん、どうもありがとうございました。どうぞ、ご機嫌ようお帰りください」

と丁寧にはっきりと言いました。このときの姉は、いかにも都会の風に触れてきたひとりの大人のように見えました。

こっくりさんは五十音表の上を回ると、

「さ・よ・う・な・ら」

と順に指し、鳥居の印の中に入りました。そこで割り箸がパタッと倒れ、こっくりさんは無事に帰って行ったのでした。