小倉智昭さん「親に心配をかけたのは間違いない。食えない時代には、いい年なのにおふくろに助けてもらっていたくらいだからね」(提供:新潮社)

9月4日、小倉智昭さんが『徹子の部屋』に登場。がん闘病の実態と一人暮らしの日々についてお話しします。そこで小倉さんが、これまでの人生を振り返った記事を再配信します。

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22年間にわたり朝の情報番組『とくダネ!』でMCを続け、朝の顔として活躍した小倉智昭さん。2016年に膀胱がんを宣告された後、肺への転移も見つかる中で、活動休止と再開を繰り返しながら闘病生活を続けてきました。そして2024年2月、『とくダネ!』のコメンテイターで友人でもある古市憲寿さんを聞き手にした『本音』(新潮社)が刊行に。今回は、小倉さんが新卒で入社した局を辞めてフリーになり、電気ガス水道が止まるほどの貧困生活を送っていた、30代頃のエピソードをご紹介します。

前回はこちら

金の無心を母親に

(太字:古市さん)
──貧乏時代を振り返って今どう思いますか。

親に心配をかけたのは間違いない。食えない時代には、いい年なのにおふくろに助けてもらっていたくらいだからね。おふくろは80歳まで看護師やって働いていた。元なでしこジャパンの澤穂希さんを取り上げたのは、うちのおふくろですよ。

以前は台湾の赤十字病院の師長とかもやっていたんですが、引き揚げてきて僕が中学校を出たあとからは、府中の奥島病院(現・府中病院)に勤めはじめた。子供が大きくなるまでは仕事してなかったんですよ。

でも、どこで聞きつけてきたのか、看護師さんが足りないから手伝ってくれという話が来たんでしょう。それで親父に「私やりたいんだけど、もう一度やっていいか」って言って、親父も「ああ、いいんじゃないか」と言って現役復帰。それで80歳までやったの。白衣のババアですよ。

で、親父には生活が苦しいとは言えず、金の無心はおふくろのところに行くしかなかったからさ。今から行っていい? って電話して病院を訪ねていくと、もう70代になったおふくろが、ガマ口抱えて階段でトントン降りてくるんだよ。

看護師はエレベーター使っちゃいけないから。実際には少し太っているからトントンっていうほど身軽じゃなかったか──それで、「ごめんね、今日はこれしかないけど」って現金を渡してくれるんです。

それに「すいません」とか言って頭を下げながら三十過ぎのいい大人が1万だ、2万だって借りるわけです。