(写真提供:Photo AC)
地図を読む上で欠かせない、「地図記号」。2019年には「自然災害伝承碑」の記号が追加されるなど、社会の変化に応じて増減しているようです。半世紀をかけて古今東西の地図や時刻表、旅行ガイドブックなどを集めてきた「地図バカ」こと地図研究家の今尾恵介さんいわく、「地図というものは端的に表現するなら『この世を記号化したもの』だ」とのこと。今尾さんいわく、「地形・地勢の把握は国防の基本であるが、軍関連の記号は種類が多かった」そうで――。

陸軍は星、海軍は錨のマーク

明治14年(1881)生まれの父方の祖父はおそらく名古屋の陸軍第三師団に納品していた。詳しくは聞いていないのだが、「おじいちゃんは軍に木銃や巻脚絆(まきぎゃはん)を納める商人だった」と亡父に聞いたことがある。

この商品は両方とも今の世には解説が必要で、訓練用の木製の模擬銃とゲートルのことだ。納品先は歩兵第六連隊や輜重(しちょう)(輸送業務を担う)第三連隊などの個別部隊であったかもしれないが、空襲で焼ける前の祖父の家は名古屋城内にあった第三師団司令部から2キロしか離れていない。

「おそらく納品」などといまひとつ自信が持てないのは、父からそれ以外の話は聞いたことがなく、祖父本人も私が幼児の頃に亡くなっているからだ。

それでも興味を持って調べていると少しずつわかってくるもので、神保町の古書店で3年前たまたま見つけた昭和9年(1934)現在の『名古屋電話番号簿』には祖父の名前が載っていた。

職業欄には「軍需用品」とあって、父の話を疑っていたわけではないが、ようやく納得した次第である。

父は12人兄弟の末っ子の6男で終戦時に旧制中学校1年生であったが、私の伯父の中に少なくとも2人は職業軍人がおり、そのうち1人は陸軍大学校(第51期)へ進みながらも昭和14年に中国で若くして「戦病死」している。

陸軍参謀本部の外局であった陸地測量部(国土地理院の前身)の地形図を私が多数集めているのも、何かの縁かもしれない。

敗戦で祖父が「お得意さん」を失ったためか、大学時代の父はアルバイトに明け暮れ、授業料を特例で少しずつ払っていたそうだ。