面倒ごとの9割は、人生で身に着てきた「こだわり=執着」のしわざと説くのは、真言宗密蔵院住職の名取芳彦さん。心おだやかでいられる時間と事を増やすには、「執着じまい」「こだわりじまい」「面倒なことじまい」が必要だといいます。執着の手放し方について説いた『60歳を過ぎたら面倒ごとの9割は手放す 我慢してばかりの人生から自由になる54の教え』より一部を抜粋して紹介します。
我慢じまい
我慢は嫌なもの……、そう思っていませんか。
仏教の面白いところは、出合った嫌なことをなくすのではなく、それを「苦」にしない、「苦」と感じないための教えでもあるところです。
我慢は仏教語です。自我が強く、自分は偉いと思いこみ、他を軽んじる思いあがりのことで、煩悩(ぼんのう)の1つ。
日本語では、耐え忍ぶという意味で使われることが多い言葉です。ここでは、我慢を嫌なものと思わなくなるだけでなく、無理に我慢しないで生きていくための、我慢のさばき方をご紹介しましょう。
あなたが思っている以上に、我慢の構造はシンプルです。
我慢はいつも目標とセットです。目標がないと我慢できませんし、逆に目標があれば、それほど苦もなく我慢することができます。
健康でいたいという目標があれば、好きなお酒もほどほどの量で我慢できます。毎日の軽い運動も、歯を食いしばってやっている意識はありません。
僧侶の修行は大変でしょうと同情されることがありますが、修行して僧侶の資格を取る、悟りへのステップを一歩進むという目標を達成するためなので、やらなければならないと自覚しています。