三角巾生活のイライラを母にぶつけた
私は3度の骨折を経験している。最初は小学2年生の時、町内の運動会でのこと。徒競走に出た私はカーブで追い越しをしようと無理な加速をし、前のめりに転んであえなく最下位に。
問題はそこからで、左腕が上がらない。左胸部の痛みに気分が悪くなり吐き気もしてきた。日曜日で保健室は開いておらず、近所の医院も休診。両親はまさか骨折とは思わなかったようで、「ごはんを食べて寝たら大丈夫」と、呑気に帰宅した。
しかし私は食欲もなく、熱と痛みにうなされて一睡もできずに朝を迎えることに。慌てた母が朝一番で整形外科に連れて行ってくれた。
初老の院長先生は、母の話を聞いて私の姿を見た途端、「鎖骨骨折やな」と言ってレントゲン写真を撮った。診断は「左鎖骨骨折」。院長先生は私の左腕をとり三角巾を手際よく調整して、「利き手ちゃうだけでも儲けもんやで」と優しく慰めてくれた。薬を飲むと痛みが嘘のように治り、その日は爆食して爆睡。
私はこの経験から、自分の身に痛みを伴うことが起きた時には軽く考えず、最悪の事態を想定して「親といえども、人の言うことを鵜呑みにしてはいけない」と学んだ。
この三角巾生活は本当に不自由で、イライラの連続。まず、衣類の着脱を母に手伝ってもらわねばならない。ランドセルが背負えないので、学用品一式が入った大きな手提げ袋を持つ右手が痛くなった。傘が持てない雨の日は、登下校時に母に付き添ってもらう。
風呂や洗髪も母のお世話に。しかし入浴中、私はこともあろうに、イライラを母にぶつけた。「なぜすぐ病院を探して連れて行ってくれなかったのか」「なぜ骨折を疑わなかったのか」「なんでなんで?」とネチネチ詰問。
憂さ晴らしは毎回、母が私に謝るまで続けた。母には一番感謝しなければならないのに、この頃の私は最低の親不孝娘だった。
2ヵ月目に入ってやっと三角巾が外れ、院長先生の「よう頑張ったな」の言葉とともに治療が終了。その時の母のほっとした表情が忘れられない。以降、母は二言目には「転けたらアカンよ」と言うようになった。