細川忠興・玉(ガラシャ)像(写真提供:Photo AC)
エミー賞受賞ドラマ『SHOGUN 将軍』は、日本の戦国時代について再現性の高さも話題になりました。時代考証を担当した、国際日本文化研究センターで教授を務めるフレデリック・クレインス氏いわく「戦国時代の武士たちには、命より家の将来や社会的立場を重んじ、死を“生の完成形”と捉える死生観があった」とのこと。戦国時代の武士たちは、《合戦での討死は名誉》とされ、主君の死や敗戦の際には、ためらうことなく自ら切腹を選んだといいます。また当時は女性が表舞台で活躍する時代でもあり、その活動範囲は多岐にわたりました。そのため、女性たちも例外ではなく、自害は“武家としての教示”を示す行為としてとらえられていたそうです。戦国武士の生きざまを徹底検証したクレインス氏の著書『戦国武家の死生観 なぜ切腹するのか』より、一部を抜粋して紹介します。

想像で描かれたガラシャ夫人の最期

戦国時代には、男性だけでなく、武家の女性たちも自害という道を選択することが少なくありませんでした。

「信長公記」の著者として知られる太田牛一が記した「太田和泉守記」(名古屋市蓬左文庫蔵)にガラシャ夫人の最期に関する記述があります。

ガラシャ夫人は、関ヶ原の戦いが起こる直前の慶長5(1600)年7月17日、大坂の細川屋敷で最期を迎えました。

東軍諸将の妻子を人質に取ろうとした石田三成の手勢が屋敷に押し入るとの報告を受け、忠興の足かせになることを避けようと、みずから進んで死を受け入れたと伝わります。

その様子を「太田和泉守記」から物語風に紹介しましょう。