中村梅雀さん。梅雀スマイルがトレードマークになるまでの紆余曲折を聞いた(撮影:本社写真部)
〈4月7日の『徹子の部屋』に登場〉舞台、テレビ、映画に大活躍の中村梅雀さん。2021年4月7日スタートのドラマ『特捜9』では、複雑な過去を持つ国木田班長を熱演しています。名優揃いの一家に生まれ育ったゆえ、団らんのときでも、家族の間は緊張感に満ちていたという梅雀さん。2020年にはデビュー55周年の節目を迎え、あの柔和な梅雀スマイルがトレードマークになるまでの紆余曲折を聞いてみました(構成=丸山あかね 撮影=本社写真部)

ピアニストだった母の影響で音楽に夢中に

「成駒屋」という屋号を持つ家に生まれました。わが家系は名門の「梨園」とは異なる、いわゆる「弟子筋」。私の祖父である三代目中村翫右衛門(かんえもん)は、どんなに頑張っても弟子筋では大きな役をもらえないことに耐えきれず、仲間と歌舞伎の世界を飛び出し、新劇の人たちと一緒に「前進座」という劇団を立ち上げた。父・四代目中村梅之助はそこで生まれ育ち、劇団を盛り上げるべくテレビや映画で活動するようになり、後に劇団の代表を務めました。

私は5歳で芝居の稽古を始め、日本舞踊、義太夫、長唄、三味線、お茶やお習字の稽古をさせられていました。初舞台を踏んだのは9歳のとき。東京・新橋演舞場で公演した前進座の『勧進帳』に、「中村まなぶ」という名前で出演したのです。あれから55年。時が経つのは早いですね。

でも順風満帆に歩んできたわけではありません。幼少時、母は妊娠中毒が尾を引き入院がち。そしてわが家には祖父が同居していました。祖父と父は親子ですが、役者の先輩後輩の間柄。食卓を囲むときにも張りつめた空気が流れていて、そのせいか私は食が細く、病弱な子供でした。

ピアニストだった母の影響で幼い頃からピアノに親しみ、クラシックが大好き。それが中学生のときロックに興味を覚え、今も演奏を続けるベースに出会います。変声期でもあり友達付き合いが大切な中学の3年間は、稽古事を休んでいたので、音楽に夢中になったのです。