(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)
「芦毛の怪物」と呼ばれ、多くの人に愛された名馬・オグリキャップ。今回は、オグリキャップとその関係者達を現役当時から取材してきたノンフィクションライター・江面弘也さんの著書『オグリキャップ 日本でいちばん愛された馬』から一部を抜粋し、その思い出を振り返ります。

競馬場に行く電車のなかでサンスポを読む

いまもむかしも、競馬場に行く電車のなかで『サンケイスポーツ』紙を読んでいる。競馬評論家として好きだった大橋巨泉のコラムが載っていた『競馬エイト』を買っていたわたしは、大橋が競馬評論を引退してからは“馬柱”(成績欄)がおなじサンスポを利用するようになったのだ。

もうひとつ、サンスポの“馬柱”のなによりもいいところは、出走馬に生産牧場が記載されていることだ。生産牧場は馬券には直接影響しないが、競馬に関わる仕事をしている人間にはありがたい。

あの有馬記念の朝も駅でサンスポを買った。当時、競馬雑誌『優駿』の編集者だったわたしは、仕事で付き合いのある高橋源一郎のコラム「こんなにはずれちゃダメかしら」を愛読していた。

高橋の本命はホワイトストーンだった。菊花賞はメジロマックイーンに屈して2着だったが、果敢に挑戦したジャパンカップでは4着に頑張っていた。外国の強豪を相手に日本馬として最先着である。

ホワイトストーンは、タマモクロス、オグリキャップとつづいてきた芦毛の時代を引き継いでいくのはこの馬に違いないと、多くのファンが期待を寄せていた馬である。ファンタストやブロケード、キョウエイプロミスなどを送りだしてきた高松邦男廐舎で、主戦騎手が柴田政人ということもあって、とりわけ関東のファンに人気が高かった。