がらんとした部屋で
少しずつモノが減り、がらんとしていく京都の団地の部屋。スッキリする一方で、ベランダから見える見慣れた山々や青空を眺めると、胸がきゅっと締めつけられます。「ここからのこの眺めが好きだったんだよなぁ」。古い団地だけど、7階の明るい窓辺には、いつも光と風と空がそばにありました。私は部屋そのものというより、そういった伸びやかな環境を含めたすべてが大好きだったのです。
名残惜しさが足を引っ張ったのか、最後の大物であるテーブルやベッドを手放す段階になって、急に足が重くなりました。「なんだか面倒くさいなぁ」と、ずるずると予定を先延ばしにしている自分に気づいたのです。
いやいや、家をなくすためには先に進まなきゃ! でも待てよ。退出となったら手続きがたくさんあるな。そんなことやりたくなーい!
私の中では、「面倒くさい」と「名残惜しい」が二重奏を奏でていました。
そんなときに訪れたアメリカのサンディエゴで印象的な出来事がありました。一緒に食事をした知人に「海外で何か新しいことしてる?」と聞かれたとき、何も言えずに口ごもってしまったのです。
毎月いろんな国を訪れているけれど、ただカフェやスーパーに行ったり、電車に乗るぐらい。「それって日本でもやっていることだよね」と言われて、気づきました。確かに言葉やシステムが違ってもすぐに慣れるし、新しい体験とは言い難い。知らない国を訪れるっていうだけでチャレンジしたつもりになっていたけど、実は安全地帯から出ていなかった……!?
振り返ってみれば「ここぞ私の居場所」と思える国や街も見つからず、日本に帰るたびにホッとする、の繰り返し。お金と時間をかけたけれど、「これからの新しい道」は何も見つけられていないことに気づいて、ショックを受けました。
私は一体何をやっているんだろう?
これからも同じように旅に出ても、何も見つけられない気がしました。
そこでパタリと足が止まってしまったのです。