阿刀田高
阿刀田高さん(c)新潮社
1月に91歳を迎えた作家の阿刀田高さんは、妻・慶子さん(2025年5月逝去)が介護施設に入所した2023年から一人暮らしを始め、現在も「“まあまあ”でいいじゃないか」をモットーに軽やかな日々を過ごしています。そこで今回は、阿刀田さんの2025年の著書『90歳、男のひとり暮らし』から一部を抜粋し、お届けします。

あとは無となれ墓はなし ――墓

老人が近々赴くだろうところ、すなわち墓所について、当人はもちろんのこと家族、親族、友人知人、それぞれにいろいろな考えがあり、さまざまな事情があったりして決断がままならないケースが多いようだ。

私の場合はすこぶる自由、自分一人の思案で対応してよい。私の仕様は“死は無である”が基本なのだ。レビー小体型認知症を患い、もう思案のむつかしい家内がキリスト教徒であることだけは配慮せねばなるまい。

両親の墓は武蔵野の郊外地にあるけれど、そこには事情があって私は入れない。私の子どもたちは「親父の好きでいいだろ」と百パーセント言うだろうし、他にあれこれ横槍をさす人はいないはずだ。

生きているうちから“死んでも私のこと思い出してほしいな”などと敬愛のようなものを求めるのは、だれにもある心理だろうが(死んだらなにも求められないはずだから)これは言わば生きている今にとって都合のいい注文なのであり“死は無である”と信ずる私には適切ではない。それを墓に頼るはずもないのだ。

さいわいなことに作家なので墓とはべつに作品は少しく残り、よくもわるくも“こういう男だったんだ”と私についてのサムシングが漂って、やがてそれも消える。漂っても漂わなくてもそのときの私は無であり、どうでもよろしいのだ。