型破りでたくましい女性
母のリョウコ(86歳)は現在、実家のある北海道の病院に入院しています。2019年1月、実家で一緒に暮らしていた妹が仕事から帰宅すると、転倒して動けなくなっていた母を発見。そのまま入院となり、今に至ります。病院で母はレビー小体型認知症とパーキンソン病と診断され、もう立って歩くことはできません。でも患者さんや病院のスタッフと楽しそうに会話を交わし、寝たきりにもならずに過ごしています。
それは、これまで私が知っていたどの母の姿とも違う、心休まる穏やかな光景です。というのも私の中の母は、シングルマザーとして、演奏家として、慌ただしくたくましく日々を生き抜いてきた女性だったから。
母は若い頃、音楽で食べていきたい一心で、神奈川県の裕福な生家から勘当状態になりながら、ひとり札幌に移り住みました。札幌交響楽団のヴィオラ奏者となり、楽団で知り合った父と結婚し、私が生まれたのです。しかし、そのすぐ後に父は病気で亡くなり、再婚して妹をもうけますが、ほどなくして離婚。そこから幼い私と妹を抱え、母の闘いが始まります。
母は、化粧する時間も惜しいからとほぼ素顔のまま、大きな車に楽器を積み込み、いつもバタバタ出掛けていきました。女性が離婚し、社会に出て働くことがまだマイナーな時代です。いわば、何もない雑木林に幼子といっしょに放り出されて、生きるも死ぬもあなた次第と言われたようなもの。
遠く実家を離れた北の大地では、頼れる人もいない。経済的にも不安定です。その現実を恨むより、嘆くより、自力で前に進むしかなかった。開拓者として雑木林を切り拓くようにして生きてきたのです。
そのぶん母は、「女だけの家庭だからって甘く見るなよ、誰からも卑下されたり同情されたりするつもりはないぞ」という気概もすごかった。自分で全部引き受けなければならないという、責任感と気負いでできている人でした。
私は幼い頃から、わが家は他の家とは違うと感じて育ちました。楽団の仕事以外に、北海道のあらゆる地域に車を何時間も運転してヴァイオリンを教えに出かけ、またわが家にも生徒さんが毎日のように練習に来るのです。
学校を休ませて私たち姉妹を演奏旅行に連れて行くような、当時としては型破りな母親でしたが、おかげで他の子とは違う経験がいっぱいできた。母は楽しく生きる見本だったのです。本はいくらでも買ってくれましたし、新聞をよく読んでいた母と世の中のことについて話し合うのは、独立して漫画家となってからも楽しみでした。