(左)林家パー子 (右)林家ペー
(C)五十嵐美弥/小学館
ギター漫談師・林家ペーさんは、御年84歳。1964年に初代林家三平に入門し、愛妻・林家パー子さんとともに、コンビ「林家ペー・パー子」として全身ピンクの衣装に身を包み、したたかにたくましく芸能界を生き延びてきました。そこで今回は、ぺーさん初の語り下ろし『ヨレヨレ人生漫談』より一部を抜粋し、波瀾万丈な人生をお届けします。

入門早々ブレークしたパー子

僕が27才の時に20才のパー子が入門してきたんだけど、ショックだったねえ。パー子が弟子入りした日を強烈に覚えてるわよ。

昭和43(1968)年の暮れ、根岸の海老名家に知人を介して連れて来られたパー子を「この人、うちの弟子にしたから」と、おかみさんの海老名香葉子さんが僕に紹介してくれたの。続けて、「あなた、パーッと明るいからパー子、そう、パー子で決まりね」って。

あとで聞いたら、パー子はもうカンカンでね。海老名家に連れて行った人と大げんかしたんだって。だって彼女、女芸人になるつもりなんかまったくなかったのよ。パー子は歌手志望だったんだから。作詞家の石坂まさをさんの開いていた音楽教室に通って、レッスンを受けていたんだから。その音楽教室にパー子のあとから入ってきたのが藤圭子さん。

だから僕もパー子も「純ちゃん」と呼ぶ間柄だったんだけど、それはともかく、間に入った人から「三平に会わせてやる」と言われて、パー子が根岸の家に行ったら、いきなり「女弟子にしてやる」と言われて……当時20才のパー子にしてみれば、何がなんだかわからなかったのよ。でもその場では何も言えないままで、その帰り道で激怒した。

でも、せっかくおかみさんが「パー子」って名前を決めたんだからとなだめられてね。結局、根岸にお世話になることになっちゃった。