「3回目の会食の時、名古屋のおばあちゃんから「養子に入ってもらえないか」と言われたのです。ただ「私が死んだら墓を守ってほしい」というのが希望でした」(撮影:本社写真部)
血のつながらないおばあちゃんから莫大な資産を相続した──そんなおとぎ話のような本当の話がある。カスタネットパフォーマーの前田けゑさんの人生は、一見、とてつもなくラッキーなようだが、お金の魔力とは恐ろしいもので……(構成=平林理恵 撮影=本社写真部)

食事会は仕組まれていた!?

8年前、30歳の時に、母方の祖母の友人だった女性から、名古屋市内の不動産15億円ほどを相続しました。

この“名古屋のおばあちゃん”と知り合ったきっかけは、祖母に「紹介したい友達がいるから」と、ご飯に誘われたことです。当時の僕は25歳の売れないミュージシャン。祖母にはしょっちゅうご飯を食べに連れて行ってもらい、その場に祖母の友達が同席することも少なくなかった。

だから、僕には特別なことではなかったのですが、すでに2人の間では話がまとまっていたのでしょう。今思えば、あれは跡継ぎを探している親友に、孫を紹介するための会食だった。

あ、でも食事中は、そんな話は出ませんでしたよ。「仕事で名古屋に行く時に顔を出してあげてね」と祖母に言われ、軽い感じで「いいよ」と。僕はいわゆるおばあちゃん子で、祖母に喜んでもらえるなら、という気持ちが強かった。

で、3回目の会食の時、名古屋のおばあちゃんから「養子に入ってもらえないか」と言われたのです。ただ「私が死んだら墓を守ってほしい」というのが希望でした。この時点では“相続”の話は一切出ていません。祖母には「いいお話だと思うよ」と背中を押され、名古屋のおばあちゃんは、「月に1度くらい顔を出してくれさえすれば、あとは好きなことをやっていていい」って。そこまで望まれるならと考え、その場で承諾しました。

食事のあと区役所へ行き、届を提出。両親の離婚で小学校の時に一度姓が変わっていることもあって、改姓することに抵抗はありませんでした。ただ、母親に伝えるのが後回しになってしまい、「順番が違う」と怒られましたが。(笑)