米国ってどんな人情のところなんでしょう
八
三浦と私がロンドンを後にして、あの朝靄の中にニューヨークの屹立としてそそり立つ巨大な建物の影を眺めた時の感動も、なかなかに私の一生涯の間の、忘れられない一瞬だった。
どんな大きな都会が、私達を待っていてくれるのであろう。今迄は人に追われ、戦いに追われ、落人の如く私達は新しい町につくのであったが、今はそうではない。私は世界の三浦環として、新しい人達に、新しい都会に見(まみ)えるのだ。その新しい人達は、一体私をどんな風に迎えて呉(く)れるのであろう。私は、自分の感動に堪え切れなくなって、そっと傍らの三浦の手を握りしめると、三浦も同じ思いであるらしく、しっかりと私の手を握りかえしてくれるのであった。
「何だか恐ろしいような気がしますわ」
「何、大丈夫さ、もうすっかり度胸が出来た筈じゃないか」
「でも、米国ってどんな人情のところなんでしょう」
「ははは、お前にも似合わないことをいうね、しかし、環、お前には運がついているよ。大丈夫だ」
「運でしょうか」
全くそれは運というより外(ほか)ないような私の気持だった。ロンドンを発つ時、ロンドン大使の所へ御暇乞(おいとまご)いに上ると、
「やあ、しっかりやって下さい。大いにやって国威を発揚して下さるんですな。私の方からも、アッチの大使館に電報を打って置きますよ。」
「宅ではこんな電報を打つといってますよ。『コクホーだから大切にせよ』っていうんです」
冗談のようにしていわれた大使夫妻の厚い御志に、急に目頭が熱くなって来て、
「すみません。本当に有難うございます」
と涙もろい私が、もう目をうるませると、
「さあ門出に涙は禁物禁物。元気に行ってらっしゃい。」
と気軽な大使は笑われるのだった。
私はそれを思い出して、もう一度熱いものが胸につき上って来た。
「ああ、米国だ」
三浦は波止場の方に瞳をこらし乍ら(なが)叫んだ。
「あああんなに日本人が迎えに来ていて下さる。」
「そうだわ、あれは皆私のお迎えなのね。」
あれが三浦環さんだ、お蝶夫人(マダム・バタフライ)だ、私はそういう無数の声と瞳の中へ、さし出されている人々の手の中へ、大きな波に乗ったような気持で、すうっとおりていく自分を感じた。