2021年、『婦人公論』(2月9日号・24日号)の対談で初めて語り合った(撮影:大河内禎)
27歳のときに『青い果実』で作家デビューし、『婦人公論』の連載エッセイをまとめた『思い出の屑籠』を100歳で上梓。70年以上にわたり活躍を続けた佐藤愛子さんが、2026年4月29 日に102 歳で逝去されました。佐藤さんと同じ時代を生き、5年前に『婦人公論』で対談した五木寛之さんは、佐藤さんをどのように見ていたのでしょうか。対談での思い出とともに語ります。(構成:篠藤ゆり 撮影:大河内禎)

先輩であり戦友

佐藤愛子さんがお亡くなりになった今、大きなものが失われたという欠落感があります。

「佐藤愛子さんがいる」というだけで、ジャーナリズムの一角が締まっていたし、とにかく存在感がすごかった。古武士のような端然とした佇まいで、つねに世の中に強いエネルギーを発しておられましたから。それだけに、不思議と身近なところにいるようにも感じていたのです。

佐藤さんは僕より9歳上で、仕事以外での個人的なおつきあいはありませんでしたが、同じ時代を生きてきた作家のお一人という感覚はずっと持ち合わせてきました。

それに少年時代、お父様の佐藤紅緑さんが書かれた少年小説を愛読していたこともあり、そういう意味でも特別な親しみを感じていました。

じつは初めてお話しさせていただいたのは、2021年の『婦人公論』での対談です。お互いにペラペラしゃべらなくても、なぜか話が合う。きっと私たち同世代の人間は、共有できるものが多かったからでしょうね。

僕は、佐藤さんは「明るいニヒリスト」ではないかと感じていました。ニヒリストというと、伊藤野枝のようなアナーキストを想像しがちですが、佐藤さんの場合は明朗にして、ものの考え方がニヒルなんです。人生とは大変なものであり、矛盾だらけで不合理なものなんだ、という冷徹なまなざしが明るい。