地球温暖化が海洋生物に与える影響を研究していた生物学者の日高明美(ひだかあけみ)が、生物採取のための潜水作業中に亡くなったのは七年前のことだ。

 明美はダイビング経験が豊富な五十二歳のベテラン研究者で、国立大学で准教授の職に就いていた。入水から三十分後に呼吸困難を訴え、同伴者と一緒に浮上したものの船上で意識を喪失し、心肺停止状態に陥った。急いで陸へ戻り、駆けつけた救急隊によって緊急搬送されたが病院で死亡が確認された。死因は心筋梗塞だった。

 日高明美は、加々見吉晴の妻だ。当時のことを、吉晴はあまりよく覚えていない。定年退職したら二人で海辺の町に住もう。庭付きの中古住宅を買い、花木を育て、海岸を歩き、ただ静かに世界を味わう贅沢な暮らしを送ろう。そんなのどかな約束をしていた妻が、なんの前触れもなくこの世を去った。

 吉晴がなによりも虚しさを感じたのは、明美が研究を愛していたことだ。彼女の部屋には何万枚もの海洋生物のスケッチが残されていた。新種の生物を発見するたび、その生物の面白さと珍しさについて、顔をぱっと輝かせて何時間でも語り続ける人だった。そんな彼女が、研究活動中に亡くなった。

 感情に蓋をして葬儀を行った。火葬炉から引き出された薄灰色の骨を見て、心がくしゃくしゃに潰れていくのを感じた。まだ二十五歳だった娘の美央(みお)と助け合って生きた。しばらくは季節の変化も感じなかった。

 翌年、明美が携わっていた共同研究の論文が発表された。明美の名前も共著者として記されていた。吉晴は論文を通読し、筆頭著者に感謝を伝えた。

 日々が経過するにつれて、受けとめきれない衝撃から悲しみが溶け出し、心の内側に大きな湖を作った。しかしそんな吉晴の内面の動きとは関係なく、生存のために必要な雑事は次から次へと押し寄せた。吉晴は湖を結氷させ、それについて考えないようにしながら働いた。

 ある日、論文データベースを利用している最中に、明美が過去に執筆した論文を引用した若手研究者の論文を見つけた。