(写真提供:Photo AC)
中学校卒業後の学生を対象とした5年制の高等教育機関「高等専門学校(高専)」。文部科学省の「令和7年度 学校基本調査」によると、高専の学生数は約5万6000人で、前年度とほぼ横ばいだったそうです。どのような学校なのかイメージしにくいという方もいらっしゃるかもしれませんが、龍谷大学文学部准教授・手嶋泰伸先生は「工学系技術者の世界では高専の存在感が大きく、高専が輩出する技術者は日本の産業界と社会を支えている」と語ります。そこで今回は、手嶋先生の著書『高専―戦後日本のエンジニア養成』より一部を抜粋し、高専の知られざる歴史に迫ります。

幻の医学高専構想

高専制度のさまざまな分野への利用の議論のなかでも、特に大きな問題となったのが医学分野への利用、すなわち医学高専制度の新設についてだった。

1970年7月4日、高知県庁で開催された過疎対策などをテーマにした地方自治に関する公聴会「一日自治省」の席上、第三次佐藤栄作内閣自治相の秋田大助が、僻地での医師不足を解消するため、医学高専構想に言及した。

秋田大助(写真:『高専―戦後日本のエンジニア養成』より)

どのような構想だったのか見ていきたい。医学高専は工業高専と同様に中学卒業者を対象にするも、6年制である。大学を「専門医」を養成する機関とする一方で、医学高専は「幅広い知識と技術を持つ“一般医”」を養成する機関と位置付けた。

都道府県を設立者とする公立学校法人で、国と都道府県とで建設費を折半し、学費は都道府県が貸与することにする。卒業後に9年間以上、公立病院(さらにその半分以上は僻地の病院や診療所)で勤務した場合には、返還を免除するというものである(『朝日新聞』1970年7月4日)。