(写真提供:Photo AC)
厚生労働省が2025年に実施した「国民生活基礎調査」によると、介護する人・される人が共に75歳以上の割合は37.1%で、過去最高を更新したそうです。そのようななか、タレントの岡田美里さんは、15歳のときに家を出ていった母と、42年ぶりに同居生活をスタート。60代で、知識ゼロから親の介護に向き合うことになりました。今回は、岡田さんが7年間に及ぶ介護の日々を率直に綴った『今だから笑える 笑えない介護の話』より、一部を抜粋してお届けします。

いよいよ本格的な介護に突入

母はあれよあれよという間に、ステッキをついての歩行から、歩行器が必要になり、次第に歩行器でも移動が困難になっていきます。その移行期が大変でした。

移住した時にはすでに紙パンツを使っていましたが、紙パンツの処理は自分でして、自力で歩くこともできました。便器から立ち上がるのが大変だと言うのでトイレに手すりをつけ、特に問題なく過ごしていたのです。

ところが要介護認定がおりた頃から、超スローテンポでしか歩けなくなります。トイレにたどり着くまで我慢できないと訴えるようになったので、母の部屋にポータブルトイレを置くことにしました。

ここで私は大失敗をしてしまいます。

この頃は、週に2回のデイサービス以外に、週に2回ヘルパーさんに来ていただくようになっていました。私が母をお風呂に入れた時に支えきれず、危うく転倒してしまいそうになったからです。

あれはゴールデンウィークで訪問ヘルパーさんのお休みが続いたあとに我が家で行われた介護スタッフさんの報告会でのことでした。

スタッフの方がポータブルトイレのことに触れ、「お休み明けにポータブルトイレが溢れていました」とおっしゃったのですが、これを私は報告だと思い込んでいて、「そうだったのですね」とスルーしていたのです。

すると1時間くらい、いろいろな話をしたあとに、再びスタッフの方が「ポータブルトイレのことなのですが……」と言いにくそうに切り出したので、そこで初めて「私が処理しなければいけなかったのか!」と気づきました。

ヘルパーさんが黙ってポータブルトイレの処理をしてくださっていたので、私にはポータブルトイレの処理をするという発想が抜け落ちていたのです。

母の愛情は希薄だと嘆いていた私こそ、母への愛情が薄かったのだ、と思い知らされるような出来事でした。

そこから私がポータブルトイレの処理を行うようになり、いよいよ本格的な介護に突入したのを実感します。

とはいえ、正確にはまだ介護のほんのとば口に立ったところでした。