「つらくて何度か逃げようと思いましたけど、ここから逃げてしまったら僕はもう一生、芸能界には戻れない。そう思って踏みとどまりました。」(撮影:本社写真部)
3年前にスキャンダルが発覚し、公の場から姿を消していた俳優の小出恵介さん。先日、3年ぶりに芸能界に復帰することが報じられると、大きな話題に。いったい彼の身に何が起こり、どこで何をして暮らしていたのか。

現在発売中の『婦人公論』2020年10月13日号で、これまでの経緯と現在の心境をジャーナリストの中村竜太郎氏に赤裸々に語っている。その中の一部を公開する(構成=中村竜太郎 撮影=本社写真部)

逃げたら芸能界には一生、戻れない

中村 仕事もすべて失いましたし、小出さんにとっては長い3年間でしたね。公の場から姿を消した期間は、どんな生活をしていましたか。

小出 しばらくの間は、東京の自宅から離れた場所で過ごしていました。誰とも連絡を取らず、人目に触れないよう、息を潜めて生活していました。買い物にも出られないため、母親が来て身の回りの世話をしてくれたのですが、僕よりも母が憔悴していく。そばで見ていてつらかったです。

中村 報道はチェックしていましたか?

小出 テレビは見ましたけど、ネットで調べることはしませんでした。世間にどんどん間違った情報が広がっていくけれど、自分の口から説明ができないので、悶々とした気持ちのままでした。

いったん横浜の実家に移り、それから8月に、東京から遠く離れた地域にある施設に滞在しました。そこで施設長の説教を毎日聞き、一緒にご飯を食べて家事や畑仕事をするという生活です。三食お粥みたいな質素な暮らしで、夏なのに冷房がなくて、暑くて眠れないのがきつかったです。

生まれて初めて見たボットン便所を毎日せっせと掃除したり、朝5時からママチャリで40分かけてとあるお寺に通い、庭掃除の手伝いもしていました。お小遣いは1日に500円もらえたんで、どうしてもお腹が空いたときは、近所のスーパーでソーセージを買ったりして。約4ヵ月、そこで生活していました。

中村 自分はスター俳優だったのに、とか思いませんでしたか。

小出 先の見えない不安はありましたが、無心にならざるをえないというか、とにかくいまを一所懸命生きようという気持ちでした。つらくて何度か逃げようと思いましたけど、ここから逃げてしまったら僕はもう一生、芸能界には戻れない。そう思って踏みとどまりました。正直、精神の拠り所はそれしかなかったです。

地域の人たちは優しく見守ってくれているんですけど、僕自身が人の目を気にしてしまっていて、精神的に自分を追い込む一方でした。げっそり痩せましたし、心も体もどん底の状態です。

中村 普通、耐えられませんよ。

小出 ある日、やつれた僕の様子を見たお寺の住職さんが声をかけてくれて、冷房の効いた部屋で栄養ドリンクをくださったんですね。するとてきめんに頭が回りはじめた(笑)。そこで何を考えたかというと、この苦しい生活に耐えられたらなんでもできる、俺はすごい俳優になれるんじゃないかということ。ボットン便所を磨いたことだって、いつかその経験が演技に役立つだろうと思いました。

中村 ポジティブですね。

小出 そう考えないと自分が持たなかったのかもしれません。どういうふうに受け取っていただけるかわからないですけど、どこかものすごく冷静な自分がいて、これは全部エピソードになるし、役者としての血肉になるんじゃないかと思っていました。