今日的な問いに答えてくれる「家族小説」
ジェンダーやエスニシティの多様化を受け入れる方向に時代が進むなかで、家族のあり方も大きく変わりはじめている。
だがその一方で、社会の劇的な変化についていけず、他者との人間関係に思い悩む人もいる。世代や文化的背景、価値観を異にする者同士の共生は、どうすれば可能だろうか。本作はそうした今日的な問いに答えてくれる、風変わりな「家族小説」だ。
夫を亡くし、古希も迎えた秋代は公団住宅に一人で暮らしている。ある日、彼女のもとを長女・巴(ともえ)の〈家族になろうとしている〉という若い男が訪れる。たくみな話術に乗せられ、秋代はその男、未彩人(みきと)を家に入れてしまい、彼が身近にいてくれることにいつしか安らぎさえ感じるようになる。
秋代の長男・優志(やさし)とその妻・梨花(りか)は互いを「政治的に正しく」理解しようと努めるあまり、関係がぎくしゃくしはじめていた。借金で身を持ち崩した次男の春好(はるよし)はゲームに惑溺し、妻の月美から見放されている。巴はニューヨークで産んだ娘・紗良(さら)を伴い帰国したが、他の家族から距離を置いている。彼らは気づかないうちに誰かを傷つけ、自らも深く傷つく。
それぞれが怒りや絶望、不安を抱えたまま、家族は解体へと進んでいくしかないのか。巴の家に住み着いている夕海(ゆうみ)という若い女はこの絶望的な流れを押し止める、文化人類学でいうところの「トリックスター」的な存在だ。未彩人と夕海の二人を媒介にして、秋代の家族はあらためて互いに出会い直す。
この小説の登場人物はいずれもDVや「毒母」、依存症といった社会問題の「当事者」たちだ。その問題解決は、人間同士の信頼回復からしか始まらない。「大団円」ともいうべきエンディングは、その可能性に賭ける作家の祈りでもあるだろう。