撮影:藤澤靖子
「う、ふ、ふ、ふ、」「土曜の夜はパラダイス」など軽やかかつポップな楽曲で人気を博したミュージシャンのEPOさん。しかしその人気の裏では、幼少期から母親の虐待を受け続け、深く刻み込まれていった心の傷に苦しんでいたと言います。ミュージシャンとしての活動に加え、自らの経験をもとにセラピストとしてカウンセリングを行う日々について聞きました。(撮影=藤澤靖子 構成=福永妙子)

身に覚えのないことで責め立てられる

2007年に、それまで住んでいた神奈川県葉山から、沖縄に居を移しました。ここを拠点に全国を飛びまわりながら音楽活動をし、と同時に、沖縄と葉山でカウンセリングスタジオ「ミュージック&ドラマ」を運営しています。

40代半ばの頃、アメリカの大学でカウンセリングやセラピーを学び、補完医療施術師の資格をとりました。背景には、長く私を苦しめ続けた母との関係による心の傷、そこから抜け出せず、人生さえも諦めようとした自分自身の体験があります。

立ち直る助けとなったのが、催眠療法やカウンセリングを受けたこと。かつての私と同じように心に悩みを抱える人たちが、前向きに生きられるようお手伝いしたい、そんな思いで相談者の方々と向き合っています。

私には母親に甘えた記憶がほとんどありません。物心ついた頃から、母に怒られ、罵られるのが常でした。身に覚えがないことでも、「あんたがやったでしょ」と責め立てられる。火のついた線香のお仕置きが待っていることもありました。熱さと痛みに、泣きながら、「私がやりました」と言って、ようやく、手に押し付けられた線香から解放されるのです。

母は「あなたのためよ」と言う。親から拒絶されると生きていけない子どもは、理不尽だと思っていても、受け入れざるをえない。「これはしつけなんだ」と自分に言い聞かせながら、ただただ謝り続けていました。

3歳上の兄がいますが、母の攻撃対象はもっぱら私でした。兄は私が虐待を受けるのをいつもそばで見ていても何もできず、多分、私に対して、罪悪感を抱えながら大人になっていったのではないかと思います。

両親は仲が悪く、喧嘩が絶えませんでした。母からは「あんたがいなければ離婚していた」と言われ続けていた私は、母の不機嫌は私のせい、私が悪いんだと自分を責め、その後の人生でもずっと自己肯定感をもてずにいました。

父に対しては複雑です。父は、私に対し、二つの顔をもっていました。一つは、私を愛し、かわいがってくれるお父さんの顔。ところが、母の前ではまったく違う。母が「この子がこんな悪いことをした」とありもしないことを言うと、私の言い分を聞くことなく、「そうか」と母と一緒になって私を責め立てる。二枚舌。大好きだけど裏切る人――それが私にとっての父でした。

のちにカウンセリングを勉強するようになって、父と母の関係は共依存だったと知りました。互いに相手を嫌いなのに、共通のテーマ――たとえば子どもを痛めつけることで結びつきを確認する。犠牲になるのは、拠り所を失った子どもでした。