東京を語る上で欠かせない下町と山の手。あの街がどっちで、この街はあっち、などと都民の間で話題になります。格差社会を研究する早稲田大学の橋本健二教授は「二つの間にあった格差は戦争で決定的なものとなり、それぞれの範囲も、戦後復興の過程で徐々に定まった」と言います。現代にも続く差異の背景にあるものとは――。
徴兵されて戦死する率が高かった下町の住民
戦争は、下町と山の手の格差を決定的なものにした。
下町には貧しい労働者や自営業者が多く、全体として学歴は低かった。これに対して山の手には、学歴が職業の重要な条件となるサラリーマンや官吏が多く、子どもたちにも高い教育を受けさせようとする傾向が強かった。
ところが旧制高校以上の在学者には、1943年まで徴兵猶予の特権が与えられていたから、徴兵には学歴による格差があった。佐藤香によると、敗戦時に20代だった人の兵役率は、小学校卒では37%に上ったのに対し、旧制中学・実業学校卒では21%、旧制高校以上では11%にすぎなかったという(佐藤香「戦後社会にみる戦争の影響」)。
以下図表は、1955年SSM調査データ(正式名称は「社会階層と社会移動全国調査」。階級・階層研究を専門とする社会学者のグループによって、1955年から10年ごとに行なわれており、日本社会の格差の構造に関するもっとも基本的なデータを提供している)にもとづいて、1935年以降に兵役を経験した人の比率を1935年時点の所属階級別にみたものである。集計の対象としたのは、調査時点で35歳から59歳、つまり1935年時点で15歳から39歳だった人である。
兵役経験率は、所属階級によってかなり異なる。もっとも高いのは労働者階級で、34.0%までが兵役を経験しているのに対して、資本家階級、新中間階級、自営業者層は20%前後しか経験していない(ちなみに農民層も21.6%と低いが、小作農に限ってみれば、34.5%までが兵役を経験している)。
学歴が低く労働者階級の多い下町の住人は徴兵されることが多く、したがって戦死することも多かったはずである。