4月8日の最終回でみごとに伏線を回収、大団円を迎えた朝ドラ『カムカムエヴリバディ』。「ラジオ英会話」「あんこ」とともにこのドラマを彩ったのは戦前戦後の「ジャズ」である。戦後、東京、大阪、横須賀などの米軍キャンプ地には多くのクラブがつくられ、日本人が米軍のためにジャズを演奏していた。ドラマの前半では、戦災孤児の錠一郎に「大月」の名字をつけた「ディッパーマウス・ブルース」のマスター、柳沢定一が店でジャズのレコードをかけ、それを聞いてジャズを覚えるミュージシャンたちの姿が描かれていた。定一は進駐軍のパーティで「On the Sunny Side of the Street」を歌い、その場に幼い錠一郎と、ロバートに誘われた安子が偶然居合わせていたのだった。
その時代、日本のジャズの創成期に深く関わり、後進を育てたジャズ・ピアニストが松谷穣(まつやみのる)だ。1910年に神戸に生まれ、藤山一郎から山口百恵まで、時代を代表する多くの音楽家、歌手、ジャズ・ミュージシャンと交流した半生は、個人史でありながら時代の記録でもある。2023年に完成する「ジャズ・ミュージアムちぐさ」館長であり、「ジャズ喫茶ちぐさ」理事、横浜ジャズ協会会員の筒井之隆氏に、松谷穣について寄稿いただいた。(写真提供◎松谷冬太氏 以下すべて)
スター来日 ジーン・クルーパとルイ・アームストロング
「こうギャラがスーヤじゃ、チャンカーももらえねぇ」
ぼやいているところへ、声がかかる。
「シーメでもどう?」
「ルービ付きで願いたいね」
「だめ、バーソ、バーソ」
なんでもひっくり返してしまうのがジャズメンの専門用語だった。
別に反社会的な仕事をしているわけでもないのに、あえて一般の人に分からない隠語を使っては大笑いし、人を煙に巻くことが多かった。
ピアノはヤノピ、ベースはスーベ、トロンボーンはボントロ、トランペットは日本語のラッパをひっくり返してパツラと言った。ドラムだけが例外的にタイコというのが面白い。
「バンマスさんよ、今夜のゴトシはごきげんだぜ」
初対面のマネージャーが、松谷の耳元に口を寄せて話しかけてきた。ゴトシとは、もちろん仕事のことである。
東京駅八重洲北口。スイング・トーチャーズ(ムーンライト・セレネーダーズからバンド名を変更)のメンバー10名ほどが、楽器や楽譜の入ったトランクと一緒にホロ付きの軍用トラックに乗せられて、大揺れの最中のことである。今夜の演奏は空軍基地だから、休憩の時においしい食事でも出してくれるのだろうか位に思って聞き流していた。