「日本では、国外に避難する人のことが多く伝えられていますが、国に残る選択をした人や、そうせざるをえない状況にある人もいるのです。」(撮影:大河内禎)
ウクライナの民族楽器バンドゥーラ奏者として日本で活動を続けてきた、ナターシャ・グジーさん。26年前に起きたチェルノブイリ(チョルノービリ)原発事故の被災者でもある。故郷がロシアによる侵攻を受けている現状を、どのような思いで見つめているのだろうか。好評発売中の『婦人公論』6月号より特別に記事を公開します(構成=篠藤ゆり 撮影=大河内禎)

言葉で表せない悲しみが押し寄せて

2022年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻したと知ったときは、信じられない気持ちでいっぱいでした。21年の暮れ頃から、危機的な状況が迫っている〈空気〉のようなものを感じていました。

キエフで暮らしている母や姉たちとは毎日のように連絡を取っていましたが、そのときはみんな「きっと大丈夫でしょう」と言っていたのです。どこかの時点で収まるんじゃないか、戦争にはならないだろうと。それでも私は心配で心配でたまりませんでした。

ところがあの日、寝て起きたらすべてが逆さまになっていたのです。ニュースでそれを見て聞いて、本当に言葉では表せないくらいのショックと悲しみが押し寄せてきました。その後、母は無事日本に避難することができましたが、今も姉たちや甥っ子姪っ子、いとこや親戚、友人たちなど、たくさんの近しい人たちがウクライナにいます。

私は日本という遠く離れた場所にいて、ただ悲しんで泣くこと以外何もできない。その虚しさと無力感を噛みしめながら時間が過ぎていきました。

毎日のようにさまざまなニュースが流れてきますが、そこから得られる情報は、一部でしかありません。たとえば日本では、国外に避難する人のことが多く伝えられていますが、国に残る選択をした人や、そうせざるをえない状況にある人もいるのです。