なぜ野村克也監督は野球だけでなく「社会人の常識」を選手に説いたのか(写真提供:photo AC)
「働く意味」をテーマに取材や講演を行い、『定年後』などのベストセラーを持つ楠木新さん。楠木さんは人生100年時代を言われる今、一つの組織や仕事だけに頼りすぎるのではなく、二毛作、三毛作をする「転身」を加えた生き方も考えてみたほうがいいといいます。そしてそれは「危機に対応する」ということ以上に「いろいろな自分を楽しむための転身」であり、その意味で「“野村再生工場”とも呼ばれた野村克也監督の選手への接し方からは学ぶべきものが多い」とのことで――。

野村再生工場

選手としても監督としても、日本のプロ野球界では傑出した存在だった野村克也は、戦力外となった選手が自身のエネルギーをうまく前向きの力に変換させる指導法で「野村再生工場」と呼ばれた。

投球フォームをオーバースロー(上手投げ)からサイドスロー(横手投げ)に変更して主に左打者へのワンポイントリリーフで再生した阪神の遠山奬志や、楽天に移籍してから野村監督の指導を受けて39歳で本塁打王、打点王を獲得した山崎(崎はたつさき)武司などの選手がいるが、ここでは江夏豊と小早川毅彦の例を見ながら野村が選手を再生したケースを考えてみよう。

2020年3月、亡くなったばかりの野村克也を偲んで放送されたテレビ番組(「スポーツ酒場“語り亭”スペシャル『ありがとうノムさん』」)で、江夏豊、福本豊、古田敦也、宮本慎也、小早川毅彦といった、現役時代にしのぎを削ったライバルや指導を受けた教え子たちが、野村監督のことを1時間にわたって語っている。

この番組での発言や江夏の著書『燃えよ左腕―江夏豊という人生』も参考にしながら検討する。