コロナの影響もあり、2021年の外国人留学生数は前年比13.3%減、日本人の海外留学にいたっては、2019年が105869人から1487人と98.6%減となった。一方、平均寿命が延びたことにより、リカレント教育や生涯学習にも注目が集まり、学び直す社会人、それを受け入れる大学も増えている。ドキュメンタリー映画監督の海南友子さんは、2022年1月からコロナ禍を乗り越えて、ニューヨークの大学に留学している。50歳で、10歳の子どもと年上の夫を連れて、だ。もともとは英語が苦手で、日本で仕事と育児と介護に追われていた彼女が、3年かけてニューヨーク留学に辿り着くまでの紆余曲折をお送りします。
憧れの街並みがいまや私の日常
毎朝、通学バスの車窓から見えるのは、クライスラービルにロックフェラーセンター、そしてブロードウェイ。憧れの街並みがいまや私の日常だ。2022年、まさか50歳でニューヨークに留学するとは少し前まで夢にも思っていなかった。
50歳で無謀にも挑戦した子連れアメリカ留学は、地道な努力と、奇跡的な運の良さも相まって、留学許可をもらえたのはニューヨークのコロンビア大学だった。コロンビア大学といえば、日本では宇多田ヒカルとか、世界的な有名人ならオバマ大統領が知られているが、ニューヨークに本部を置くアメリカの有名私立大学で、アイビー・リーグに加盟する歴史ある名門校だ。
自分がこんなところにこられるなんてと、登校初日はビビりまくった。雪の降る厳しい寒さのマンハッタン。地下鉄を降りると目の前が正門だった。アメリカの建物って、なぜか彫像などが異様にでかい。小さめの奈良の大仏のような彫像がそびえたつ正門。恐れおののきながらその門をくぐった。
あたり前だけど、周りにいるのは正規のコロンビアの学生ばかり。私は英語も得意じゃないし、他の学生のお母さんぐらいの年齢だ。急に、シャイな日本人気質に襲われてめちゃくちゃ気弱になってきた。でも、落ち込んでいても仕方ない、自分がやりたくてきたのだからと、腹を括って研究室のドアを叩いた。