「断捨離の提唱者としてあらゆるものの《過剰》を憂えてきた私にとって、コロナ禍は過密という状況に対する警鐘なのではないか、とも感じられたのです」(写真提供:やましたさん)
「断捨離」という片づけメソッドを生み出し、世に広めたやましたひでこさん。約2年前から、東京と鹿児島の2拠点生活を送っているといいます。その経緯や現在の暮らしぶりを伺うと、手放すことで得られるものが見えてきました(構成=山田真理 写真提供=やましたさん)

東京の住まいにこだわる必要はない

2020年11月に鹿児島県指宿市へ住民票を移して、仕事場のある東京のマンションとの2拠点生活を始めました。今はまだ仕事の関係で東京にいる時間が長いのですが、これから1~2年かけて、本拠地の指宿から東京に「出てくる」という生活にしたいと思っています。

指宿での住まいは、錦江湾を望む高台のホテルです。日常を離れ心身をリフレッシュするための過ごし方――《リトリート》を目的とした施設「リヒト」をプロデュースし、一室を自分仕様にして暮らしています。

朝は大隅半島の向こうに朝日が上り、夜になれば天空を渡る月が鏡のように静かな湾に映る。約2年半経った今でも、その美しさにはいつも息をのむほどです。

そんな指宿に拠点を移そうと考えたのは、20年の春のことでした。コロナの感染防止策として初めて緊急事態宣言が東京に出され、仕事はおろか買い物で外へ出ることすら自粛が求められた時期です。

何であれ強制されることを好まない私は、自粛とは名ばかりの圧迫感に、やりきれない悲しさと怒りでいっぱいになりました。「緊急事態宣言とは、まるでコロナ戦時下。ならば、自分の意志で『籠城』して応戦しよう」と気持ちを切り替えることに。

意地でも家から一歩も出ず、買い置きの食材で久々に凝った料理などを作っては、家に籠もる日々をなんとか面白がる作戦に出たのです。

しかし、東京のマンションからぼんやり眼下の街を眺めていると、ふと「こうして部屋に籠もっているなら、東京にこだわる必要はないかもなあ」という思いが湧いてきて。断捨離の提唱者としてあらゆるものの「過剰」を憂えてきた私にとって、コロナ禍は過密という状況に対する警鐘なのではないか、とも感じられたのです。

東京は刺激的な楽しみにあふれています。しかしこの過密に問題があるならば、これからは「過疎」を楽しむことが自分のキーワードになるのではないか。そのとき真っ先に頭に浮かんだのが、断捨離の合宿や講演会で何度か訪れていた、自然と光の豊かな指宿のホテルでした。

さっそくホテルを運営する知人に連絡すると、普段は世界中を飛び回っている方なのに、「コロナで海外出張にも行けないから、錦江湾で釣りをしています」なんてメールが届いたので、悔しくなっちゃって(笑)。私もすぐに準備を整え、その年の秋から本格的に指宿でのリトリート生活を始めることにしました。