キャットグラスとシティ(写真提供◎以下すべて青木さん)
青木さやかさんの連載「50歳、おんな、今日のところは『……』として」――。青木さんが、50歳の今だからこそ綴れるエッセイは、母との関係についてふれた「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」、初めてがんに罹患していたことを明かしたエッセイ「突然のがん告知。1人で受け止めた私が、入院前に片づけた6つのこと」が話題になりました。
今回は「園芸を楽しむものとして」です。

前回「なぜ隣の芝生は青く見えるのだろうか…ということで、人を羨む気持ちから離れてみる。芝居は、観るのも出るのもいい」はこちら

年々植物を育てることが好きに

春になった。
わたしは一年中カーテンをしめない生活をしている。夜は網戸にして冷たい風を感じながら、まだ厚手の布団に入るのが好きだ。朝のベッドから見える公園の木々の新緑はとても綺麗で、春の訪れは自然が教えてくれるのだなぁとつくづく思う。
いつからだろうか。風や夕日や植物に興味を持ち始めたのは。

祖母も母も庭の手入れを張り切ってしていた。子供の頃はネギやイチゴは庭からとるものだった。今も愛知で一人暮らしをしている95歳の祖母宅の広い庭には、ゴーヤが植わっている。あまりにもゴーヤが沢山取れるので、
「ゴーヤが余ったで困るわ」
と、夏はゴーヤばかり食べている。きっと今頃は
「草むしりがかなわんわ」
と言っているに違いない。

わたしも年々、植物を育てることが好きになってきた。まさか自分がそうなるとは想像もしていなかったが。
最初にうちにきた植物は、パキラである。もう20年近くになるだろうか。インテリアにあるとオシャレだ、という、ただその理由で購入したパキラは、さほどお世話をしていないが大きく育ち、何度も天井にぶつかり、剪定してもらって、共に引越し、今や親友だと思ってる。
今のマンションには、うまく植物と暮らしている植物先輩が多いらしく、マンションの共用部にある植物たちは立派に成長している。

大きく成長したパキラ。この位置に置いてからエアコンを使わないようになりました

この分譲マンションをリノベーションした時、植物を吊り下げる為にダクトレールをつけるのは必須であった。
ダクトレールのおかげで、植物を吊り下げ、隣にスポットライトをつけて、植物達をライトアップさせて、ベッドに寝転びながら観るのが、なんとも最高である。(BGMはラジオ)

ダクトレールに吊り下げた観葉植物。ライトアップが欠かせない