撮影:本社写真部
約30年間で4万人以上をカウンセリングするかたわら、末期がんを患う人たちのターミナルケアにも携わってきた、バース・セラピストの志村季世恵さん。19年来の付き合いになる樹木希林さんの晩年にも寄り添い、最後まで伴走した。命の期限を区切られたときに見えてくるものとは?(構成=古川美穂 撮影=本社写真部)

命は誰のものだろう

ターミナルケアにかかわることになったのは、子どものころの体験が大きく影響しています。

私は少し複雑な家庭に育ったのですが、親のように大事に育ててくれた人が3歳のときに亡くなりました。また私自身も子どものころから体が弱く何度か入退院を繰り返しており、小児がんの子がそばにいたり、友だちになった大事な人が亡くなったり。そんな環境で育ったため、人生の早い時期から「死」を身近に感じていました。

小児病棟に入院した、あるときのことです。私はたまたま個室に入りましたが、周りの部屋は深刻な状態の子どもばかり。というのも、病状が重くなると個室に移されることが多かったのですね。部屋の前にあるベンチでご両親が泣いている姿をよく見かけました。

当時は臨終が近づくと家族もいったん部屋から出され、亡くなってからようやく入室を許可されたのです。ご両親の入っていった部屋からはいつも、号泣しながら子どもの名を呼ぶ声が聞こえてきました。

その入院の少し前、私の飼っていた猫が犬に咬まれて大怪我をしたんです。助かる見込みがないので安楽死をさせてあげようと言われ、私は「いやだ、いやだ」と大泣き。そのときに父が言ったのです。「あなたには、まだできることがあるでしょう。名前を呼ぶことも、撫でてあげることも、抱くこともできる。何ができるか考えてごらん」と。

それでも私が泣き続けていると、猫が一所懸命に立ち上がって私の涙を舐めようとする。心配させたら可哀想だと思って、抱くことを選択しました。それで、猫の体が冷たくなるまで抱いてあげることができた。

病室でご両親が泣いているのを見て、それを思い出したんです。どうして自分の子どもを最後に抱っこできないんだろう。子どもも親も、そうしたかったはずなのに、と。