貧困家庭に生まれ、いじめや不登校を経験しながらも奨学金で高校、大学に進学、上京して書くという仕事についたヒオカさん。現在もアルバイトを続けながら、「無いものにされる痛みに想像力を」をモットーにライターとして活動をしている。ヒオカさんの父は定職に就くことも、人と関係を築くこともできなかったそうで、苦しんでいる姿を見るたび、胸が痛かったという。第52回は「SNSとの距離の取り方」です。
一部しか見えないSNS
SNSを辞めたい、とずっと思っている。
とはいえ知り合いの近況が知れるし、ライターという職業柄、世の中の動向を知ることは非常に重要で、SNSはそのために不可欠なツールでもある。また、書いた記事やイベントの宣伝を行う必要もあり、なかなか辞めるに至っていない。
私のSNSとの距離感の取り方は、ここ数年で大きく変化した。数年前までは、私はある意味SNSを信じていた。SNSで議論をよくしたし、思い出すと恥ずかしくて仕方ないが、若干好戦的な部分もあった。でも、だんだんと気づくようになった。
SNSは虚像だ、と。もちろん、実像の一端を表している部分はある。しかし、あくまでSNSで見える部分なんて、その人のごく一部でしかない。SNSが発達して、私たちはSNSで触れ合う人を知った気になるようになってしまった。
SNS上で少しやり取りしただけで、出会って30分話したのと同じような濃度の情報を得たと錯覚するようになってしまったのだ。でも実は、ごくごく限られた情報しか得ることはできず、短文のやり取りでその人を知ることなんてできない。
SNSで感じが悪くても、会ったらまた違うかもしれない。人には人の数だけ歩んできた人生や悩み、抱えているものがある。それを簡単には理解できないものだと思う。