最初の申請から37年後、ついに悲願の浅草乗り入れを実現

1944年、京成は浅草延長線の特許権を東京都に譲渡する。当時、戦時体制下で交通統制が強まっている中、都区内交通の都交通局への一元化が推進されていた。ただ、都はこの押上〜浅草間の軌道特許を活用することなく、戦後の1947年12月に起業を廃止している。

一方、京成電気軌道改め京成電鉄は、戦後、再び東京都心への乗り入れを目指し、1950(昭和25)年、押上〜浅草〜有楽町間7.6kmの免許を申請する。

だが、都は都営地下鉄の建設を模索していたこともあり、猛反発する(当時、浅草〜新橋間の地下鉄の免許権は帝都高速度交通営団が保有)。

運輸省は東急や東武など他社の地下鉄構想も含めて免特許の判断を先送りするが、1955年の都市交通審議会の議論と答申を踏まえて、東京都が押上から浅草へ至る地下鉄を敷設することになった。

京成は1959年に全線の軌間を1372mmから1435mmに変更した上、翌年に開業した都営地下鉄1号線(浅草線)浅草橋〜押上間と相互直通運転を始めた。最初の浅草延長線の申請から37年後、ついに悲願の浅草乗り入れを実現することができた。

※本稿は、『開封!鉄道秘史 未成線の謎』(河出書房新社)の一部を再編集したものです。


開封!鉄道秘史 未成線の謎』(著:森口誠之/河出書房新社)

計画されながらも、様々な事情で未完成に終わった鉄道路線=「未成線」。全国に点在する「幻の路線」の計画経緯から未完に至った背景まで、その知られざる歴史と魅力を浮き彫りにする!